北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

もはやコントとは言っていられない ~ 旭川市の惨状を考える

12月9日に旭川市で新型コロナによる7名の死亡が確認されたと報道された。人口35万人の旭川市の規模を東京の規模に補正すると約40倍、じつに280人の人が亡くなったことになる。ついに自衛隊が派遣されることになったが、しかし驚くべきことにGoToキャンペーンの発着から旭川市は除外されていない。チグハグの極致であるが、もはやコントなどと悠長なことは言っていられない。旭川市で起きたことは全国のどこでも起こり得る。明日は我が身として掘り下げて考えてみた。

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笑えるほどチグハグ ~ まるでコント

新型コロナ第3波襲来の中、最近の政治家や知事の発言や政策を見ていると、やることなすことすべてチグハグで、まるでコントを見ているような気になる。日本はなぜこんな状態になってしまったのだろうか。

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医療崩壊前夜 ~ 自助でも共助でもなく公助を

マスコミで連日感染者数や重症者数、病床占有率などが報じられており、北海道をはじめとして地方ではかなり医療機関のひっ迫が起こり始めている。政府や自治体は何か手をうっているだろうか? 医療崩壊防止は自助や共助ではどうにもならない。目前に迫った医療崩壊防止を提言したい。

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当たってほしくない仮説~紫外線と新型コロナウイルス

最近紫外線照射装置によって新型ウイルスを撃退できるという研究成果が相次いで発表されている。新型コロナウイルスが紫外線に弱いことは早くから指摘されていたが、いよいよ実用化段階に入った。しかし、この紫外線とウイルスの関係性の証明はわれわれに好ましくない仮説の可能性をつきつけている。

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アフターコロナを考える3 ~ スーパー台風のことも忘れずに

アフターコロナを考える際に、一極集中vs地方創生という国土デザインは大きなテーマになるが、その際に忘れてならないのが「防災対策」を軸にした「国土強靭化」である。とりわけ近年台風の強大化によって、毎年甚大な被害が発生している。南海トラフ地震発生の不安もささやかれているが、毎年ほぼ確実に日本を襲うスーパー台風対策抜きに、国土強靭化は語れないであろう。

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アフターコロナ社会を考える2 ~イントロダクション

コロナ禍が長期化(少なくともあと1年)する可能性が高くなったいま、コロナ以後の社会を見通した議論を行い、今何をしなければならないかを考えることが大切だと思う。そろそろじっくり腰を据えてこの問題に立ち向かってみたい。

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気になって仕方がないこと ~新型コロナウイルス後遺症と生殖能力

先日、新型コロナウイルスの後遺症についての記事を書いたが、その中でも気になって仕方がないものがある。それは生殖能力(特に男子)に及ぼす影響である。わが国においても早急にこの真偽を調査する必要がある。もし事実ならば、いま日本でとられている曖昧な政策はとんでもない帰結をもたらす可能性があるからである。

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戦略なき政策~「見えない敵との戦争」を放棄した政府

私は4か月前の4月4日のブログで、「見えない敵との戦争」に対する戦略=政策優先順位として、「医療崩壊防止>感染拡大防止>弱者救済>景気浮揚」と述べたが、状況が変わっていないにもかかわらず、現在の政策は全く真逆に変化してしまった。「危機管理」という視点を失ってしまった政府、「われわれは何を守るべきなのか」、優先順位を今ひとたび整理しておきたい。

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第二波襲来、緊急事態宣言の必要性を考える ~ 日本には「世間」あって「社会」なし

   現在第一波を上回る感染拡大に直面して、「自粛要請」「休業要請」「研究事態宣言」などの発令を求める声が大きくなってきている。これらは必要だろうか。あるいは必要だとすれば何故必要なのだろうか。この問題について掘り下げてみたい。

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日本政府の姿はどこに?

そろそろじっくりとアフターコロナ社会を深く考えてみようと思い、充電期間をとってしばらく記事の投稿をお休みさせていただいていたが、さすがに今の状況に対しては何か言わなければならないと思う。

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コロナ後の社会を考える1 - 「アフターコロナ」か「ポストコロナ」か?

そろそろ私の研究テーマに近い経済社会構造の話に向かいたいと思います。ただ初回は軽iい話題で申し訳ないですが、言葉の問題だけ取り上げておきます。「アフターコロナ」か「ポストコロナ」か、が主題です。巷には両方の言い方があふれているので。

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「withコロナ」を考える

最近「withコロナ」という言葉をよく耳にする。何となく耳あたりのよい言葉であるが、この言葉の持つメッセージ性の曖昧さのゆえに、社会のあちらこちらで様々な現象を引き起こしている。この問題について掘り下げ、これからの新型コロナ対策を考える一助としたい。

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緊急事態宣言解除を考える - 何かずれていないか?

以前に「解除はメッセージ性を重視して」という趣旨の記事を書いたが、状況は真逆になってしまっている。「さあ経済を回そう」という掛け声のように聞こえる。経済だけならまだしも、学校もほぼ一斉に(ガイドラインはあるものの)再開し始めた。国民には何らのメッセージも伝わっていない。このチグハグな動きの中でもう一度「今やらなければならない重要事項」を確認してみたい。

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日本特殊論を考える - 「神州不滅」の正常性バイアス

 

日本に死者数が少ないのは「国民が頑張った」「日本人がまじめだから」という論調をよく聞く。それ以外にも日本人の公衆衛生意識の高さや生活習慣、人種や遺伝子など、日本の特殊性を強調した論調が少なくない。しかし、この日本特殊論はかなり危険な側面を持っている。今回は少しこの問題を掘り下げてみたい。

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コロナ禍から「不動産」を考える

先日書いた私の記事の中に「不動産価格の暴落」を予言したような文言があり、周りから多少(買い時はいつになるかなどの)質問を受けた。長期的な趨勢について述べたものであったが、かなり誤解されやすい表現だったと反省している。ここでは新型コロナ拡大とアフターコロナを見据えながら、「不動産」について広く考えてみたい。

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