北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

緊急事態宣言解除を考える - 何かずれていないか?

以前に「解除はメッセージ性を重視して」という趣旨の記事を書いたが、状況は真逆になってしまっている。「さあ経済を回そう」という掛け声のように聞こえる。経済だけならまだしも、学校もほぼ一斉に(ガイドラインはあるものの)再開し始めた。国民には何らのメッセージも伝わっていない。このチグハグな動きの中でもう一度「今やらなければならない重要事項」を確認してみたい。

 

 ■ 実態を見ると

 1都3県や北海道の緊急事態宣言が解除され、さらに6月1日から休業要請のほとんどが緩和され、事実上コロナ拡大以前に戻った感がある。もともと強制力のないものだが、「事実上」というのは世間の目を気にしなくてよくなったという意味である。このことが人々を抑圧から解放されたという気持ちにさせ、「元に戻ろう」という強烈な反動を生んでいるようである。「新しい生活様式」はどこかに吹き飛んでいて、かろうじてマスク着用だけが生き残っている。それすらも若い人たちの間では次第に面倒くさいものになりつつある。近所の小学校や中学校も再開されたが、3密などどこ吹く風で、マスクは着けているが数人固まって至近距離で大声で話しながら歩いている。新しい生活様式などかけらもない。企業においてもIT系など多少はテレワークを継続しているところもあるが、相当数の会社が通常通り出社の大号令をかけているようである。6月1日の朝は、電車や駅の混雑を回避しようと思って朝5時過ぎに家を出たが、それでも(埼京線)新宿が近づくにつれて立つ人が目立ち始めた。少なくとも2週間前までは考えられなかった。夕方吉祥の街を見ると、夜の繁華街の人出もコロナ以前ほどではないが、かなりの人たちが密着して飲み会をしているようである。「新しい生活様式」「ニューノーマル」などの政治家や専門家会議のメッセージはまったく国民には響いていないのだろうか。

 ところがそうとばかりは言えないようである。電車の中でも探せば空席があるにも関わらず、ドア付近に後ろを向いて立っている人も少なからず見かけた。新宿駅吉祥寺駅の周りでしばらく人の動きを観察してみると、人込みを避けて遠回りのコースを歩く人も見かける。また中学生の親などで子供はまだ学校には行かせないと宣言している人もいるらしい。「正常性バイアス」の中に浸らない人たち、想像力が豊かなのかあるいは恐怖や心配という感情が偏って強いのかは分からないが、社会全体を分極化させようとする力が作動し始めているようである。(この問題については後に別の記事で考えてみたい。) 社会全体がどのような動きになっているにせよ、我々が心に留めておくべき事実は、日本はコロナを制圧したわけではないということである。「第2波、第3波に備えて」とよく言われるが、我々はいまだ第1波を抑え込んではいない。通常感染症を制圧したというためには、感染者ゼロを一定期間続けて始めて検証できるものである。東京の場合、ゼロを続けるどころか、第1波のすそ野がめくれあがってきている感がある。(北九州の場合は、23日感染者ゼロが続いていたわけだから、第2波と言えるのかもしれない。23日ぶりの感染者のウイルスがどこから来たのか徹底的に追いかけるべきだと思う。) 最近読んだ論文で、感染者が行政的に確認(発表)される数と真の感染者の比率を推定したものがあったが、概ね23倍あたりの推計値となっている。誤差が大きいことを承知で言うと、新規感染者が10人見つかれば、その背後におよそ230人の新規感染者がいることになる。制圧しているなどとは到底言えない。

 ■ 抗体検査→集団免疫志向の危うさ

 また、ネット上の論調を見ると、すでに日本人の多くがコロナに感染経験があり、集団免疫を形成しつつある、というものがある。2つの意味できわめて無責任な論調である。もちろんこれが事実かもしれないし、全くの誤りかもしれない。これを信じて人々が街に繰り出すのだとしたら、明らかにギャンブルである。ギャンブルをしてはいけないのは危機管理の鉄則である。実際抗体検査の精度が極めて劣悪であることは多方面から指摘されているが、たとえ制度が高かったとしても、現在の日本において数千万人の感染者がいるとはいえないエビデンスの方が明らかに多い。仮に隠れ感染者が上述の23倍だとしても、せいぜい日本全体で30万人程度、新型コロナの感染力にはほとんど影響がない。抗体検査のサンプル調査でも10パーセント以上の数字を出しているものはない。この段階で大規模な抗体検査を実施して、あたかも免疫パスポートのように活用する(抗体を持っている人は自由に経済活動をする)という考え方を推進するためにコストと労力を使うのは、少なくとも現段階でやるべきことではないと思う。 

 この考え方のもう一つの問題点は、以前にも述べたが、一度感染したら二度と感染しないのか(感染力を有する状態にはならないのか)、あるいは何らかの後遺症が存在しないのか、これらのことが完全に明らかにならない限り、本来怖くて推進できない戦略のはずである。例えば全国で学校を再開して、数百万人の子供たちが無症状のまま感染していたとして、子供たちに何らかの後遺症が残るとしたら、数十年後の日本の未来に計り知れないダメージをもたらしかねない。 

 ■ 今急いでやるべき重要事項

 したがって、今急いでやるべきことは、新型コロナは「完治」するのか、何らかの後遺症が残るのか、について大急ぎで徹底的に研究することである。医学会にはぜひ頑張ってほしい。最近マスコミはこのテーマに関する話題をほとんど報じなくなっている。何か出すとパニックになりかねないし、またせっかく経済活動を戻そうとしている時に水を差すことにもなりかねないからである。 日本のマスコミはほとんどとりあげないが、世界では確実に研究が進んでいる。日本国内でも後遺症に関して疑念を持っている人たちが一定数以上はいる。

 

 もう一つ、今から急いでやるべきことは、学校に行かなくても授業ができるオンライン授業を全国的に大急ぎで整備することである。教育現場において高齢の教員たちの抵抗は根強いかもしれないが、これをやらないと子供たちを守る体制を整えたことにならない。今後二度と感染症が蔓延することがないのであれば必要ないが、自信をもってそう言える人はいないと思う。まして、後遺症問題も不明確で、さらに第2波・第3波の脅威にもさらされている状況で、オンライン授業の推進を止める力が働くこと自体信じられないことである。日本における組織の慣性力がいかに強いかをあらためて思い知らされる案件である。 

未来を創造するために、まずは生き残りましょう