北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

新型コロナは終わってはいない~第8波の爪痕から見えてくるもの

5月8日から新型コロナウイルス感染症感染症法上の分類を季節性インフルエンザと同様の第5類に変更される。社会全体としてみれば極めて妥当な決定である。しかしその報道姿勢には多くの疑問を感じる。今回はこの点に関して、第8波の死者数と併せて掘り下げて考えてみたい。

 

■ 第8波の爪痕 

 第8波の死者数がピークを迎えた2023年1月の死亡者数が人口動態統計速報値で公表されている。本年1月の一か月間の死亡者数は約16.9万人とほぼ17万人に近い。この驚愕の数字をマスコミはほとんど報道していない。普段人口動態を見慣れた人ならこの数字が異常なものであることにすぐに気づくはずである。以下の図は過去10年の1月一か月分の死亡者数の推移を示したものである。

東日本大震災やアジア風邪の大流行などを含めても、戦後の人口動態統計の中で一か月間に15万人以上の死者が発生したことはない。昨年の1月も15万人近い数字になり、私は「驚くべき数字」という感想を述べたことがある。しかしながら今回の第8波ではこれを2万人も上回る17万人という数値になってしまった。数値だけではなかなかピンと来ないかもしれないので、対前年同月比での変化率を見てみると以下のようになる。


異常な熱波や寒波、インフルエンザの大流行などで一か月間の死亡者数はプラスマイナス7パーセント程度で変動することはそれほどめずらしくない。しかし、今回は実に17パーセントという増加を示している。明らかに異常値であり、関東大震災のような人口密集地に大災害が襲わない限り出てきそうもない数値である。このような異常な事態が進行していたにもかかわらずわれわれはなぜ気がづかないのだろうか。

■ なぜ気が付かないのか 

 全国に分散して毎日通常より700人程度多く人が亡くなっても、私たちは日常生活の中でそれを知覚することはまずできない。定常的な状況(いつもと変わらない日常)の中で、人間の脳は微細な変化を捨象するように動くからである。唯一その異常さを認識できた人は、この時期に身内が亡くなって火葬場の予約が何日も先までとれなかったことを経験した人だけであろう。われわれは自分で経験しないことをもとにして感情を呼び起こすことはかなり難しい。したがってそれを補うために物語やデータをつくってリスクを他の人や後の世に伝えようとしているわけである。

■ マスコミへの責務 

 現代社会において、誰かが経験したことやデータから客観性の高い物語(ストーリー)を他の人や後世に伝えるために大きな役割を果たしているのはマスコミである。そこで提供される情報を多くの人は客観性をもって受け止める。マスコミ自身もそのことを十分に知っている。にもかかわらずここ1、2年の超過死亡の増加に踏み込んだ報道はほとんどみられない、それどころか人であふれる観光地を紹介する報道が非常に増えてきている。しかし、新型コロナが5類に変更される今だからこそ、70歳以上の人の死亡者数がいかに増えているかという客観的データに基づいで、リスクを伝えるべきではないだろうか。今後感染者数は全数把握から定点観測に移行するため、毎日感染者数が報道されることはなくなるだろう。しかし5類移行によってウイルスの性質まで変更されるわけではないので、感染者が増加し始めて第9波といえるような状況になった場合には、高齢者や基礎疾患のある人に向けて、例えば「人ごみに近づかないように」というような警鐘を鳴らし続ける責任を負っているのではないだろうか。何度も書いているが「どうせ死ぬのは高齢者だから」という考え方は社会の安定を破壊しかねないものである。今の40代の人たちも30年後には同じ扱いをされることを想像してみるべきだと思う。
未来を創造するために一歩前に踏み出しましょう