北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

日本特殊論を考える - 「神州不滅」の正常性バイアス

日本に死者数が少ないのは「国民が頑張った」「日本人がまじめだから」という論調をよく聞く。それ以外にも日本人の公衆衛生意識の高さや生活習慣、人種や遺伝子など、日本の特殊性を強調した論調が少なくない。しかし、この日本特殊論はかなり危険な側面を…

コロナ禍から「不動産」を考える

先日書いた私の記事の中に「不動産価格の暴落」を予言したような文言があり、周りから多少(買い時はいつになるかなどの)質問を受けた。長期的な趨勢について述べたものであったが、かなり誤解されやすい表現だったと反省している。ここでは新型コロナ拡大…

ニューノーマルとパラダイムシフト

最近よく「ニューノーマル」とか「新常識」「新しい生活様式」などの言葉を耳にする。同様に東京都知事をはじめとして政治家のみなさんが「パラダイムシフト」という言葉を使う場面も目にする。「現在」という歴史的節目は、日本にとって重要な局面なので、…

9月入学を考える3 - 手段と目的が入れ替わっていないか

議論のながれが明らかにおかしい。いま何の議論をしているのかがわからなくなってしまっている。いま解決しなければならない課題のソリューションがまったく出てこない。しつこいようですが、声をあげないといけないので、またまた念押しの記事を書かせてい…

新型コロナによる経済ダメージを考える

今回は少し目線を変えて本業の経済の話をしてみたい。「経済を回せ」とか「コロナ恐慌」などの言葉をよく聞くが、中身はどのようなものか、活路はどこにあるのか、などを考える一助にしていただければと願った次第である。

多様性の時代の「学年」概念を問う - 新型コロナ9月入学の文脈で

新型コロナ拡大に対する教育の変更に関して、多くの批判や議論の中で強い足かせになっているのが「学年」という概念である。戦後の日本の教育に深く根付き、その後の日本の文化や社会構造さえも強い影響を受けてきた概念である。多様性が強く叫ばれている現…

9月入学を考える2 - 徹底的に高3受験生の視点で

小学校から大学まで一斉に9月入学にすることは、混乱と社会的負担が甚大である、これが反対論の最大の根拠、しかし高校3年生にとっては、このまま受験に突入するのは許容範囲を超えている。ではどうすれば。「大学受験を控える高校3年生のために」を徹底…

「出口戦略」は出口に向かっているか?

最近政府や自治体などでさかんに「出口戦略」という言葉を耳にする。しかし、やたらに数値目標のようなものが語られるが、それがなぜ「出口」なのかがよくわからない。今回は新型コロナの「出口」について掘り下げてみたい。

9月入学を考える - To Be or Not To Be?

新型コロナウイルス感染拡大に伴い、ほとんどの学校の1学期の教育が機能停止する中で、すべての学校の入学時期を9月にするという案がにわかに現実味をおびてきた。こんなことが短期間に可能なのか、クリアすべきハードルはあまりに多く、あまりに高い。ど…

緊急事態宣言の延長はぜひ「具体的メッセージ」と共に

5月6日までの期限で出されている「緊急事態宣言」はその延長(5月31日までが有力)が確実視されている。しかし、1か月「自粛」すれば終わりというものではない。われわれはこの延長をどのようにとらえればよいだろうか。また、政府は国民に何を伝えればよ…