北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

「出口戦略」は出口に向かっているか?

最近政府や自治体などでさかんに「出口戦略」という言葉を耳にする。しかし、やたらに数値目標のようなものが語られるが、それがなぜ「出口」なのかがよくわからない。今回は新型コロナの「出口」について掘り下げてみたい。

 ■ もともとの「出口戦略」の発想

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「戦略」というからには何かの「目的」に対しての最適な手段や方針の組み合わせでなくてはならない。感染症対策で「目的」たり得るのは、通常は「ワクチンができるまでの間、経済被害と死亡者数を最小限に抑えること」ということであろう。

● 集団免疫ブロッカー

 当初イギリスで主張されており、スウェーデンやブラジルでは今でも主張されているのが「集団免疫」をブロッカーとする考え方である。全人口の7割程度の人が感染して免疫を獲得すれば、ウイルスは新たな感染先を見つけられなくなり自然に消滅するというものである。この考え方を突き詰めれば、人々は感染しながら普通に経済活動を続ける、ということになる。しかし、感染力も重症化率が高い感染症の場合、抑圧政策なしに感染拡大を放任すると、あっという間に医療崩壊を起こし死亡率が跳ね上がるという事態が生じる。イギリスもスウェーデンもブラジルもこの状況に見舞われている。医療崩壊を起こさないように緩やかに感染を拡大させ集団免疫にたどり着くための方法を考えるということになる。このような考え方が「出口」たり得るためには、2つの条件(前提)が必要である。
 一つ目は、「一度感染することによって完全な免疫が獲得できる(二度と感染しない)」ということが真である場合である。すなわち、一度感染しても翌年にはまたウイルスの変異によって感染するかもしれない(インフルエンザのように)場合や、獲得できる免疫が不十分ですぐに二度目に感染する場合には、集団免疫では出口にならないことになる。
 もう一つは、「感染しても治癒すれば何らの影響も残らない」ということが真である必要があることである。これら2つの前提は満たされるであろうか。最後にもう一度この問題に立ち戻ることにする。
 ところで、無防備に集団免疫を追求すると、上の表からわかるように、高齢者に偏って多数の死者を出す結果になる。これをやりすぎることは一種の「姥(うば)捨て山」思想に通じるものがある。高齢者から見ると到底受け入れられないものではないかと思う。そこで追加的に出てくるのが、次のような戦略である。

● ハイリスク者隔離

 集団免疫とのパッケージでよく語られる戦略にハイリスク者隔離政策がある。新型コロナの場合、上の表にみるようにハイリスク者は明らかに高齢者(+基礎疾患のある人たち)である。極端な言い方をすると、感染者ではなくハイリスク者を外出させないようにして、経済は健康な若者で回すという考え方になる。この考え方の背景には、「健康な若者はいくら感染しても構わない、死亡率が極めて低いのだから。」という感覚が潜んでいる。ここにも上の2つの前提条件が係わってくる。
 ところでこのハイリスク者隔離戦略を追求することは、高齢者等の集団を社会システムから切り離すことを意味する。例えば、学校を再開しても60歳以上の教員がすべてオンラインで授業をしなければならない、と定めたとしよう。また、60歳以上の人がスーパーで買い物ができる時間帯を限定したとしよう。これらは受け入れられるだろうか。高齢化社会日本においては、やはり受け入れられそうもないように思う。

 ■ 緊急事態宣言解除指針

 現在政府や知事さんたちが「出口戦略」と呼んでいるものは、上で述べた「戦略」とは似て非なるものである。現在述べられているものは、大阪モデルであり、東京モデルであれ、神奈川モデルであれ、どれも緊急事態宣言を解除するためのガイドラインに過ぎない。新規感染者数、感染経路不明者数、陽性率、空き病床率、などなど、いずれも大切な指標ではあるが、それによって「出口」に近づくわけではない。何せPCR検査が極端に少ない状況下では、潜伏している感染者を見つけ出すことができないため、数字は単に「傾向」を把握しているに過ぎない。それでもなぜこのガイドラインにこだわるのだろうか。そもそも緊急事態宣言とは何であるのか。日本の緊急事態宣言の中身は、さっくり言うと、「外出自粛要請」と特定の業態に対する「休業要請」の組み合わせである。1か月もすると国民の多くがこれに耐えられなくなりつつあり、「経済を回す」という大義名分のもとに、要請を緩めてほしいという期待が醸成されている。直接打撃を受けた休業要請業種には補償金や協力金がいくばくかは存在するが、外出自粛によって間接的にダメージを被った業態には補償はほとんどない。学校についてもそうである。逆に、IT業界や通販、物流などは「コロナ特需」によってむしろ活況を呈している。つまり、経済は回ってはいるが、特定の産業(ホテル旅館、観光、外食、非日常品小売り、エンタメ、イベントetc.)に強烈で深いしわ寄せをもたらしている。緊急事態宣言を解除すればこの状況から脱却できるかもしれないという期待が膨らむのも無理からぬことと思う。

 ■ 緊急事態宣言解除後

 この流れに沿って考えると、緊急事態宣言解除後は(解除前からすでに兆候は出てきているが)、膨らんだ期待に乗って人の動きが加速することが予想される。そうなるとおそらくその1か月後は、韓国やシンガポールなどの例を見るまでもなく、再び感染拡大に見舞われることが予想される。そうなると再び緊急事態宣言を出さなければならなくなるだろう。つまり、「戦略」として考えると、3月ごろ言っていた「自粛によって、医療崩壊させないように緩やかに感染を拡大させ(なるべくピークを後ろにずらし)、治療薬やワクチンの開発を待つ」という自粛継続型戦略ではなく、「感染が拡大したら引き締め、落ち着いたら緩めを繰り返す」というサイクル型の戦略に転換したとみるべきであろう。どちらが良いというものではなく、考え方の差だろうが、実際にその場に直面したときに、将来次の山が来るかもしれないが、ともかく眼下の経済活動や学校活動をやろうという短期的な戦略をとりたくなるのは、政治的決断(選挙が近づく)としてはうなずけるものがある。

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 ■ 出口はどこにあるのか

 それではこの「サイクル型」の戦略は出口としてはどこに繋がっているのだろうか。高齢者の行動制限を特に行わないのであれば、おそらく無数のサイクルを通じて最終的には集団免疫をめざすものと解釈できるだろう。したがって、最初に述べた2つの前提「一度感染したら二度と感染しない、人にも移さない」と「感染しても治癒すれば影響は残らない」の真偽如何ということになる。不吉な症例報告や研究が散見されるようになってきたが、これらが杞憂であることを祈るのみである。
★退院しても再び陽性になる(世界的に多数の症例あり)

コロナ再陽性、17道府県で37人 原因不明 厚労省「陰性後も4週間観察を」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

★子供たちに川崎病に似た血管炎症性の病気が多発(NYでもイギリスでも)

コロナ関連の奇病で男児死亡 米NY、川崎病似の症状73人(AFP=時事) - Yahoo!ニュース

★極めつけはこれ、感染男性が不妊になる。(ガセネタであってほしい)

note.com

 ■ これからやるべきことは

 用心に越したことはないので、集団免疫などと言わずに、ワクチンができるまで、あるいはできても、なるべく感染しないように社会の仕組みや生活様式を変えていくべきである。おそらくこれが真の出口になるのではないかと思う。
 以前の記事でイノベーションの必要性を力説したが、再掲すると例えば、企業は極力テレワーク(ハンコはすべて廃止)、週休4日制、バスや電車ではなく自動運転車やドローンタクシーで出勤、ファミレスはタブレット注文ロボット給仕、サッカーや野球、プロレス、コンサートなどはVRで自宅で観戦、洋服や靴は身体サイズデジタル化によるオーダー、大人数教育の完全オンライン化などなどである。こう考えてくると、逆に、真に「人間」がやらなければならないこと、そこに「心」がなければいけないものとは何かが少し見えてくるような気がする。おそらくこれがSociety5.0のあるべき方向を示してくれるものと思う。ひとつ追加で述べておくと、サイバー空間に比べてリアルな空間の価値が相対的に下がってくるので、今後確実に言えるのは不動産価格の暴落ではないかと(あくまで個人的な見解であるが)予想している。
未来を創造するために、まずは生き残りましょう。