北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

新型コロナによる経済ダメージを考える

今回は少し目線を変えて本業の経済の話をしてみたい。「経済を回せ」とか「コロナ恐慌」などの言葉をよく聞くが、中身はどのようなものか、活路はどこにあるのか、などを考える一助にしていただければと願った次第である。

 

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 ■ コロナによる直接攻撃

 新型コロナウイルスが直接攻撃したのは、第三次産業の一部と消費者と貿易の3か所である。外食産業(とくに夜の飲食産業)、百貨店、娯楽産業(テーマパーク、イベント、映画館………)などは「休業要請」によって何らなすすべもなく止まってしまった。また消費者「外出自粛」によって日常的な買い物以外に消費行動そのものが止まってしまった。さらに国際間の人の流れが遮断され、世界全体の経済活動が落ち込む中で世界中の貿易量が大きく落ち込み始めている。それに加えて微妙な国際対立も芽生え始めている。貿易活動は世界的にさらに下落の一途をたどることが予想される。

 ■ 間接的なダメージ

 しかも新型コロナによる直接的影響より間接的な影響の方が実際にははるかに大きい。「外出自粛」による消費行動の制約は、人々の消費行動を根底から変化させた。最も大きなダメージを受けたのは「人の移動」を前提とした産業である。航空、鉄道、長距離バス、タクシー、観光施設、ホテル・旅館、お土産屋、旅行代理店………、数え上げればきりがないほどの第三次産業がダメージを受け続けている。これらの業態は、人が動かなければまったくなすすべがない。これらの業態で撤退や倒産が頻発するようになると、これまで安定して家賃(テナント)収入を得ていた不動産管理業界も、かなりの苦境に追い込まれることが予想される。(そもそも日本は不動産価格や家賃が高すぎると思うが、この問題は別の機会に論じたい。)
 もう一つ間接的な影響としては、人々の消費マインドの冷え込み、輸出の減少、所得低下予想を背景にして、高額商品、ぜいたく品(所得弾力性が1を超える財・サービス)、耐久消費財等の需要が大きく落ち込んだことである。食品ニーズが大きく落ち込むことはないため比較的影響は少ないとみられていた第一次産業でさえも、和牛券やお魚券などの政治家のみなさんの発想からもわかるように、付加価値の高い商品から順番に厳しいダメージが生じ始めている第二次産業に与え始めたダメージはそれよりはるかに深刻である。自動車の売上低下が報じられているが、自動車であれ家電であれ将来所得が不確実な状況の中で売り上げを伸ばすことは不可能である。このような大型製造業に及ぼす影響は、日本の産業構造から考えるとかなり長期的なスパンで製造業全体に大きなダメージをもたらし続けることが予想される。下請け、孫請け、などのすそ野が広い産業群だからである。

 ■ 元気なところは

 しかし他方において「コロナ特需」とでも呼ぶべきものが発生している。スーパーやコンビニは「置けば売れる」という状況が続いている。コンビニの品ぞろえが変化していることにお気づきの方も多いと思う。圧倒的な特需は通販業界に生じている。またこれらに伴い、物流においても人手不足が続いている。
 また、テレワーク、オンライン授業、Webマーケティングなどの特需により関係するIT業界も空前の活況を呈している。(ただし、これらの業界でも過剰投資をおこなってきたところには、それなりに需要の冷え込みの影響は発生している。) 
 このような元気な業界への人や資金の移動は発生するだろうか。新型コロナが日本人の生活様式や産業構造を革新的に変化させるかどうかは、その期間の長さによると思われる。政府による救済で短期的にはしのげても、2年以上続くとなると産業構造が変わらざるを得ないと思う。あらたなビジネスイノベーションに期待したい

 ■ マクロでみると

 最近の報道では、1月~3月の実質GDPの落ち込みはマイナス3パーセント台ということで、「なんだこの程度か」と思われる方も多かったのではないだろうか。リーマンショック直後の四半期(2009年1~3月)はマイナス17パーセントあたりだったと記憶しているので。しかしリーマンショックのときと今回とはかなり様相が違う。リーマンショックはいったん回復基調にのれば(金融市場が落ち着けば)、相当なスピードで回復することが初めから予想されていた。実際多くの国がV字回復の経過をたどった。
 しかし今回の実需の落ち込みは終わりが見えない。しかも日本のGDPはコロナ以前にすでに消費税増税の影響によりマイナス7パーセント近い落ち込みを見せており、かなり体力をつかっている状態である。100メートル走を走った後に、突然マラソンをやれと言われているようなものである。それでもまだ日本の大企業には潤沢な内部留保があり、国民にも1200兆円を超える貯蓄資産がある。多少は走れるだろうという考え方も当然あり得る。しかし、ここに影を落とすのは財政規律とインフレの関係である。ハイパーインフレ一発でこの程度の蓄積は簡単に吹き飛んでしまうものである。

 ■ 現代貨幣理論に関する私見

 最近よく話題になる経済理論に現代貨幣理論(MMT)と呼ばれるものがある。いくら赤字国債を出しても、あるいは赤字国債中央銀行引き受けにしてお札を刷りまくっても、全く問題はない。経済発展のためにはむしろこれは必要なことである。財政均衡論者は経済を止める悪である。おおまかに言うとこんな感じである。
 現在の新型コロナ拡大のコンテクストでは「お札を刷りまくって国民を救済せよ」という言明は一定の説得力を持つ。しかしこれは現代貨幣理論が正しいことを為政者が承認したからではなく、財政破綻よりも国民の人命が優先されるという政治的妥当性のためである。
 国債を出しまくって全部日銀が引き受けても日本にはインフレは起こらない、これは正しいだろうか。国際金融市場全体で考えると、国家も中央銀行も破産しないものとして扱ってはいない。したがって国際金融市場では国家が無制限に債務を負えるとは誰も考えていない国債の暴落(長期金利の高騰)を何らかの手段で日銀が食い止めたとしても、円の暴落を食い止めることは容易ではない。「世界三位の経済大国日本で、よもやそのようなことはおこらないだろう」「まさか日本が」という発想が多くの投資家の中にあることは事実である。しかし不換紙幣の信用力はそれほど堅固なものではない。不換紙幣が「通貨」として成立しているのはある種の集団幻想(国家や社会の安定性への信頼)によるものである。やりすぎるとどこかで閾値を超えてしまうのではないかと思う。
 コロナ終息後に何らかの形で(緩やかなものであっても)一定の規律を意識しておく(表明しておく)必要があると思う。節度を失った国の末路はハイパーインフレと歴史的には相場が決まっているように思う。
未来を創造するために、まずは生き残りましょう