北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

ニューノーマルとパラダイムシフト

最近よく「ニューノーマル」とか「新常識」「新しい生活様式」などの言葉を耳にする。同様に東京都知事をはじめとして政治家のみなさんが「パラダイムシフト」という言葉を使う場面も目にする。「現在」という歴史的節目は、日本にとって重要な局面なので、この機会にこれらの「環境変化」への態度を整理してみたい。

 

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  ■  パラダイムシフトとは

  パラダイムとは、日本語を話すときの文法のように、ほとんど無意識にそれに従ってしまっている思考様式、行動様式などを指す言葉である。もともと「科学革命」などを論ずる際に、例えば「地球の周りを太陽や星が回っている」という数千年にわたって誰も疑問を持たなかった思考様式に対して、「地球が太陽の周りを回っている」というまったく新しい考え方に変更することなどである。 一方において、今回あみだされた「ニューノーマル」という言葉は、新型コロナ感染防止のための生活様式であり、社会的距離をとったり、出歩くときマスクをつけたり、テレワークを推進したり、週休3日制にしたり、などなどである。 欧米において、握手やハグをやめたり、靴を脱いで家に上がったりするようになるのは、かなり革新的な変化であり、見方によってはパラダイムシフトに近いかもしれない。しかし、これらは危機回避行動の延長線上にあるものであり、人間の新しい思考様式とは言えないニューノーマルパラダイムシフトに繋がっていくためには、例えば「教育は学校で行わなければいけないか?」「ビジネスにオフィスは必要か?」などの根本的な問いかけに対して、まったく新しい視点からソリューションを考える必要がある。
 上の図に見るように、新型コロナ第2波・第3波に備えて「新しい生活様式」の必要性が叫ばれているが、その流れが最終的にビフォーコロナに引き戻されてしまうのか、それとも新たなパラダイムシフトを生み出すダイナミズムを生み出していくのか、それは日本という国が今後50年間どのような国になっていくのかの分水嶺になると思う。「現在」という時間は、まさにすべての日本人がそうした歴史的局面の担い手であり、生き証人でもある

 ■ 教育現場のニューノーマル

 文部科学省が学校再開にあたって提示したガイドラインは、分散登校など教室で社会的距離を保つ工夫、家庭科調理、音楽、体育、部活動などの感染リスクが高くなる可能性のある活動の工夫などである。しかし、9m×7mを標準とする小中校の教室サイズと、学習指導要領を前提にすると、これらのガイドラインは短期的にしか実施することができない。つまり文科省ガイドラインは学校再開に伴う学校現場の暴走を止める歯止めにはなり得るが、少なくとも1~2年程度のタイムスパンで対策を考えたことにすらなっていない。言葉は悪いが、ある種の短期的な責任回避策ということができる。このまま進むと、学校現場にはパラダイムシフトはおろかニューノーマルさえ根付かない。ついでに述べておくと、文科省ガイドラインは、学校現場にとっては「短期的」なものとしても非常に中途半端である。ガイドライン通りにやればどの程度感染リスクが小さいのか判然としない。実際、「自主休校は欠席とする」としているなど、家庭に高齢の祖父母や基礎疾患を抱える両親がいる子供たちや、60歳以上の教員、基礎疾患をもった教員などの危機回避策は全く眼中にない。
 何度もブログで書いているように、直近の入試に関する方針を早く提示すること、すべての学校にオンライン授業に耐えられるインフラ構築と人材育成を行うこと、この2つが、新型コロナ第2波・第3波に備えて1~2年を視野にいれたときに、今すぐ行うべきことである。

 ■ ニューノーマルはどこに向かうのか

 新型コロナ緊急対応から、第2波・第3波に備えてニューノーマルを叫ぶ人たちは多いが、上の文科省の例に見るように、その中のかなりの人たちが、心のどこかでコロナが終息したらビフォーコロナに戻ることを前提にしてものを考えているように見える。例えば「食事は対面ではなく横並びで」などは明らかに短期的な意図でつくられている。おそらくニューノーマルの中で、根付くものと根付かないものを分けるのは人々の(個々人の)行動であろうと考えている。

 人間が営んでいる組織や行動様式にはかなり強い慣性(イナーシア)=「今までのやり方を変えたくない」という抗力がある。日本ではこの組織内の慣性力は諸外国に比べてかなり強い、わずかなことでも、「変化」するというだけで強烈な抵抗を受ける。これが、「今はコロナで仕方がないが、そのうち元に戻るだろう」という暗黙の合意を形成しやすい状況をつくりだしている。このような組織の中ではボトムアップの変化(ニューノーマルであれパラダイムシフトであれ)はほとんど期待できない。テレワーク推進にしろ週休3日にしろ、オフィスの縮小にしろ、営業スタイルの変革にしろ、すべてはトップが号令をかけ続けなければなかなか根付かないであろう。このときトップの背中を押すのが、個々の人々の行動変化である。

 ■ パラダイムシフトを起こすのは人々個々人の行動変化

 先日学生たちとオンラインゼミで「アフターコロナで最も大きく変わること」というテーマでディスカッションをしてみた。働き方改革に関する意見が多かったが、印象的だったのは「東京が住みたくない街になり、東京一極集中が終わる」という意見であった。若者の感性の中で漠然と、ニューノーマルの中で相対的に「東京」の魅力が低下することを感じとっている。満員電車に乗って通勤し、人ごみの中で買い物をし、おしくら饅頭のようなテーブルで飲み会をする、これらの都会の雑踏は、これまで若者にとって何とも言えないダイナミックな魅力を持っていた。しかし、新型コロナに直面して、若者にとって都会の雑踏も都心のオフィスもまったく魅力的に見えなくなっている。このことに企業のトップが気付けば、否応なく企業の存続をかけて企業の立地や働き方に関する戦略を考えざるを得なくなる。いまの状況で満員電車で通勤することを強制される会社に好き好んで入社しようとする学生はいない。
 通販生活に急激にシフトする家庭や若者の行動は、否応なく今後の「小売り」のあり方を変化させるだろう。
 また、一瞬のうちにオンライン授業に触れた1000万人を超える子供たちが、この先教育に対して何を求めるのか、これを無視して学校の経営をすることは難しくなるだろう。
 こうして社会に確実に根付いていくニューノーマルは、必ず既存の制度や社会構造に疑問を呈するようになり、最終的にはいくつかの分野で大きなパラダイムシフトを引き起こすだろうと予想している。もし、そうならないようなら日本は「後進国」への道をたどることになる。

未来を創造するために、まずは生き残りましょう!