北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

日本政府の姿はどこに?

そろそろじっくりとアフターコロナ社会を深く考えてみようと思い、充電期間をとってしばらく記事の投稿をお休みさせていただいていたが、さすがに今の状況に対しては何か言わなければならないと思う。

 ■政府の現状認識はどうなっているのか

「緊急事態宣言を出す状況にはない」と言い切る西村大臣や菅官房長官。その自信がどこからくるのか。理由としていつも挙げられるのは、感染者の増加は検査数が増えたから、重傷者が少なく医療体制がひっ迫していないから緊急事態ではない、ということのようである。百歩譲って仮にそれを認めるとしても、5000人のイベント開催や旅行割引(GoTo)キャンペーンなどを積極的に行う理由は見当たらないほとんどアメリカやブラジルの大統領と感覚的には同じなのではないかと疑いたくなる。
いまの政府の状況で感染症はどの程度拡大するのであろうか。政策研究大学院大学の土谷隆先生が比較的シンプルな感染症モデルを作成して、なるべく現実が説明できるようにパラメータのチューニングを計測的に行っている。同教授の以下のHPに詳細が記載されている。

Tsuchiya Takashi Home Page

同教授の以下のような最新の予想(7月9日現在)を出している。

http://www3.grips.ac.jp/~tsuchiya/prediction_july9.pdf

この予想によれば、緊急事態宣言が遅れれば(人々の行動パターンが変わらなければ)、東京都の感染者数は8月上旬には1000人近くになるとしている。ただ、実際にはPCR検査数の限界が天井になるため、この数字になるかどうかは微妙である。しかしその場合は莫大な数の「隠れ感染者」がいることになる。こうなるともはや感染は止めようがない。

 万一、秋冬にウイルスが強毒化するようなことがあれば、地獄のような惨状がもたらされることになりかねない。現状において致死率もたいしたことなく重症化も少ないため、ウイルスが強毒化しないのであれば、多少感染者が増えても構わないというアメリカやブラジルの大統領のような考え方もあるだろう。しかし、このブログで何度も述べたように、「未知のウイルス」であるため、後遺症に関してはやっと研究の緒に就いたばかりである。鼻腔に感染しただけで人の味覚や嗅覚を失わせるほどのウイルスが、人体にまったく無害な状態で消滅するようにはどうしても思えない。もし万一、新型コロナが深刻な後遺症を伴うとすれば「感染してもたいしたことはない」という考え方はわが国に悲惨な末路をもたらすことになる。

■「経済を回す」と「夜の街」

 5月末に感染者数が沈静化したときに、声高に「経済を回せ」という掛け声のもとに、一斉に大勢の人が街に繰り出し、6月には居酒屋やレストランが満員の状態になった。新幹線も混み始め、帰省や旅行などで県外に移動する人も増えた。会社もテレワークを止め、通勤電車は以前のように満員になった。「withコロナ」や「ニューノーマル」はそもそもなかったかのように人々の意識から薄れてしまった。
 このブログで何度も書いたように、コロナ禍と経済の両立は「新しい生活様式」と「非接触型ビジネスの隆興」しかあり得ない。人々が旅行に行かなければ経済が回らないのか、人々が飲み歩かなければ経済が回らないのか。居酒屋で大声でしゃべりたい、接待でキャバクラを使いたい、これらはビフォーコロナへのノスタルジーである。
 感染拡大を防ぐに「対面でしゃべらない」を守るしかない。そのためにはテレワークを続けるしかないし、同僚と飲みに行って大声で話したりできない。ましてや風俗に行くなどという発想は絶対に出てこない。
 もちろんこのような非接触には限界がある。介護であれ保育であれ医療であれ、至近距離で接触しなければどうにもならない仕事がある。したがって、「新しい生活様式」「非接触型ビジネスの隆興」と併せて、「徹底した検査体制」(ドライブスルー方式など)を確立して、感染者を歩き回らせないことを第一に考えなければならない。政府がやるべきことはこの3つを必死で支援し続けることである。昼夜を徹して「新しい生活様式」を国民に呼びかけ、非接触型ビジネス、デジタル化、オンライン化などに可能な限り補助金を出し、PCR検査をなかなか前に進めない許認可の壁を打ち破り、アフターコロナのビジョンを国民に提示するべきである。国会を閉会している場合ではない。
未来を創るために、まずは生き残りましょう。