北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

多様性の時代の「学年」概念を問う - 新型コロナ9月入学の文脈で

新型コロナ拡大に対する教育の変更に関して、多くの批判や議論の中で強い足かせになっているのが「学年」という概念である。戦後の日本の教育に深く根付き、その後の日本の文化や社会構造さえも強い影響を受けてきた概念である。多様性が強く叫ばれている現代において、この「学年」概念を掘り下げて考えてみたい。

  ■ 9月入学論議と「学年」

  9月入学に対する反対論の中でよく出てくるものとして、幼稚園の年長学年の中で、4月~8月生まれの人が早生まれ扱いになって9月に小学校に上がることになる。これに対して、いままで楽しく一緒に過ごしていた友達と引き離される、というものがある。あるいは、現在の大学生は8月卒業になるわけだから、世界標準に比べて1年遅れになってしまう、という論調がある。これらの批判の中には、「一つの学年は一かたまりであり、全員一斉に動くもの」という既成概念がある。文部科学省が小中高の勉強の遅れを数年かけて調整していくという方針を各教育委員会に伝えているが、これも同様に「学年」の概念を前提にした発想である。
  現在、大学でさえもこの「学年」概念に強くしばられてカリキュラムがつくられている。1年次配当科目、2年次配当科目、・・・・という感じである。したがって来年9月から入学と言われると、授業計画をゼロから作り直さなければならなくなる。例えば4月から3月で頼んでいた非常勤講師を9月から8月までに変更してもらえるか、というような具合である。大学を9月入学にすると大混乱すると言われているものの正体である。
  小中高で言えば、戦前では当たり前のように行われていた落第(留年)や飛び級もまったく行われなくなった。1学年約100
万人が1年間まったく同じことを学習し、一斉に進級、進学する。 
この流れに適合しない子供たちは、我慢し続けるかドロップアウトするかの2つしか選択肢がない。不登校や高校中退、圧倒的な才能を持ちながら18歳まで退屈なことを我慢して聞かされる、どちらも社会的には大きな損失である。語学に関して卓越した才能をもっていたと言われる森鴎外19歳で医科大学(現在の東大医学部)を卒業したと伝えられているが、今の日本ではこのような子どもが現れることは決してない。

 ■ なぜ「学年」概念から離れられないのか

  それではなぜ「学年」概念がこれほどまでに深く根付いてきたのであろうか。高校3年から大学への「飛び入学」制度はあるが、ほどんと利用されないのはなぜであろうか? 学ぶ側(子供たちとその親)の背景と、教える側の背景の両方があると思う。
  学ぶ側からみていこう。複線化されていた戦前の学制(小学校を卒業した後は、中学、師範、実業などさまざまな進路を選ぶ)から、戦後一瞬にして単線型(全員6334)の教育制度に変わったことに伴い、同一学年は流れに乗って同じように進まなければならないという「学年しばり」が生まれ、「みんなと一緒」を求める日本特有の同調圧力が加わって、戦前には行っていた飛び級や落第などが一瞬で消滅してしまったわけである。飛び級や留年の消滅は、学年概念をさらに強化させ、それがさらに同調圧力を強めるというループの中で、自分が所属する「学年」から少なくとも12年間離脱することが許されなくなっていったと考えられる。このプロセスの中で、多くの子供たちが不登校や高校中退によって流れの外にはじき出されるという犠牲を伴った。
  これは大きな社会的コストであるが、教える側はどのような状況だったのだろうか。実は「学年」概念は教える側にとっても効率性という「都合の良さ」を持っていた。100万人のこどもたちが同じ時期には同じことを習っているということは、どこの学校にいっても同じことを教えられるということを意味している。このことは、個々の教員に特別な能力やスキルが求められることがなくなり、例えば高度成長期における教員不人気「でもしか先生」と呼ばれた時代にあっても、教員の採用市場を維持することにつながった。日本が長い間40人学級を標準としており、全員に同じことを教えようとすると、16
人くらい(上位2割、下位2割)は理由が違うが「授業がつまらない」と感じたまま12年間を過ごすことになる。それでも学年が一斉に持ち上がるため、教員は授業のやり方をそれ以上きめ細かく(パーソナライズ)する必要はなかった。それどころか、学習指導要領が変わらない限り、同じ学年を担当するなら去年と同じことを教え続けていればよいわけである。これは「国家の将来」のような上位概念を無視すれば、「教員の労働」という観点からは極めて効率的な制度ということになる。それをおびやかすような改革案には、幼稚園から大学にいたるまで全教員一丸となって反対するのは当然のことであろう。入学式や卒業式は、この「学年」概念を教える側と学ぶ側がともに全員で確認するための大切な儀式なのである。したがって飛び入学や留年する人が卒業式に出られないなどということはとうてい受け入れられものではないということになるわけである。

 ■ 「学年」と「同期」

   上に述べたような「学年」概念が、日本社会に根付いている「同期」の概念に結びつくことによって、日本人は(特にサラリーマンや官僚などは)生まれてから実に60年間横並びの人生を標準として生きなければならないことになるのである。実は「同期」という概念は「学年」概念とはやや異なるものである。「同期」という執着は戦前の旧制高校には既に存在しており、「同期の桜」で周知のように軍隊組織のモティベーション維持にも活用されてきたものである。現代においても、日本の官僚組織の人事政策においては、「同期」の概念は極めて重要な役割を果たしている。「同期の中での出世頭」「一期下に抜かれた」「3期飛び抜擢人事」などの言葉を聞かない年がないほどである。そのほかには、例えば弁護士の業界においても「第何期」というのが挨拶の一部になるほどである。
  大手企業においては、新卒一括採用とあいまって、同期概念はかなりの程度学年概念と結びついた。内定式、入社式に始まって、同期会、同期飲み、退職者送別会にいたるまで同期概念に追い掛け回されることになる。もっとも近年は、中途採用の増加、9月採用、通年採用など、次第に新卒一括採用が制度として緩み始めていることは間違いない。
  「学年」や「同期」の概念は、これまで日本文化の極めて大切な特質である「横並び」意識の醸成において、中核的な役割を果たしてきた。 しかし、社会環境が激しく変化する中で多くの企業が「業態」としても「人事」においても「横並び」では生き残れないことに気づき始めた。企業における横並び意識からの離脱は、新卒一括採用を突き崩し、「同期」概念と「学年」概念の密接な結合を断ち切る可能性がある。さしあたり、新型コロナを契機に、入社式や内定式をやらない企業がどれだけ出てくるかに注目したい。官僚はしばらく脱却は無理そうなので。

 ■ 大学の立ち位置

  「同期」や「学年」概念への執着が、激しい環境変化に適応できないのは、それが思考の同質性をもたらすからである。この思考の同質性はイノベーションの大敵である。イノベーションは異質な思考をぶつけ合ったところから生まれるものだからである。企業と同様に大学もこのことに気づき始めている。大学を活性化し、社会にイノベーションを起こす人材を育成するためには、多様性が必要であると。10年近く前に東京大学が国際交流を活発にするために、強力に9月入学を主張したのもこのような背景がある。学生の多様化は容易には進まない。社会人入試や外国人入試などを行い、多くの首都圏私立大学が地方会場入試も行っている。しかし首都圏主要私立大学の首都圏(1都3県)依存率はどこも70パーセントを越えている。飛び入学の制度を活用している大学も極めて少ない。日本の大学の閉塞的な状況を一気に打開するために、「今回の新型コロナの拡大を契機に盛り上がってきた9月入学に関しても、学生の多様化を促進し、「学年」概念からの脱却の起爆剤になるのではないか。」と考える人がたくさん出現しても不思議ではない。ただし、前回の記事でも書いたように、今年の即時的な改革は、あくまでも「受験生のために」という視点から実現可能なものを選ばなければならない。大学生の多様化の視点からの大学の入り口改革はもう少し中期的な視野で行われるべきだと考える。それでも、方向性の議論を始めることは重要である。

 ■ まとめに代えて

   今回のコロナ禍の中で、もし来年9月入学にしたとしても、少なくとも大学においては、早期入学(高校3年9月飛び入学)や遅延入学(高校4年9月入学)を広範に認める(例えばAO2回制、推薦2回制とする)べきである。これは結果的に「学年」概念に風穴を開けることになり、しかも一般入試一発勝負という慣習にも一石を投じるものになる。そもそも新型コロナ陽性で(あるいは家族に陽性者がいて)2週間隔離となると、まったく一般入試が受けられないということになるわけだから、一発勝負の入試を待つのは高校3年生にとっては怖すぎるのではないかと思う。何とかしてあげたいという気持ちでいっぱいになる。

  ここまで書いてきて、自分の大学で果たしてできるのか、といささか自信のないもう一人の自分の姿が頭をもたげてくるが、なんとか前向きに戦っていくしかない。

未来を創造するために、何とか生き残りましょう。