北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

死亡者総数からみたオミクロン株のインパクト~2月の異常さ

以前にも書いたが、新型コロナウイルス感染症の影響をみるために、死亡者総数の動きをみることが最も総合的なインパクトを評価する方法である。今回はオミクロン株による第6波のピークにあたる本年2月の死亡者総数を眺めてみたい。結論から言うと、極めて深刻な数字である。

 

 ■ 全国の死者数 

 

日本全体の死者数に関してみてみると、本年2月には一か月間で約14万人の人が亡くなっている。これは2月の死亡者数としては過去最大の数であるが、普段人口動態統計を見慣れていない人にとってはこの数字の異常さはなかなか伝わらないかもしれない。一年のうちで最も死亡者が多い月は通常は1月である。強い寒波の影響、インフルエンザの急激な流行、正月のお餅による事故など死亡者が増える要因が多く、また31日ある月である。これに対して2月は(閏年を除けば)28日間なので、1月に比べれば3日間少ないため1割程度は減少することが普通の状態である。実際昨年もそのようになっている。
 しかし今年は1月と2月を比べてもほとんど減っていない。これまで2月の死亡者数が12万人を超えることはほとんどなく、インフルエンザが非常に流行した2018年に一度だけ12万人に達しているだけである。2月の死亡者数が14万人という数字をみると、「一体なにが起こっているんだ」という戦慄の数字なのである。

 ■ 東京と大阪の数字の異常さ 

 新型コロナによる公表される死亡者数はPCR陽性者となっている者の死亡であるが、それ以外のインパクトとして医療崩壊によって、救急救命が間に合わず救える命が救えなかったケースもかなりあるのではないかと言われている。そこで、医療ひっ迫が深刻であった東京都と大阪府の2月の死亡者数を調べてみた。現実は私の予想をはるかに超えていた。下のグラフは東京都と大阪府の2月の1か月間の死亡者数の推移を示したものである。

 まず東京からみていくと、本年2月に東京都では約12700人の人が亡くなっている。東京都の2月の死亡者数は2017年までは1万人に達しなかったが、インフルエンザが流行した2018年に1万人を超え、その後1万人前後で推移している。例年に比べて今年は約2割跳ね上がったことになる。

 大阪府はどうであろうか。高齢化率上昇に伴って大阪府の死亡者数も徐々に増えてはきているが、それでも2月の死亡者数が8000人を超えたのは2018年だけであり、それ以外の年は最近でも7000人台で推移している。しかし、今年の2月は一か月間で1万人を超える人が亡くなってしまった。上昇率にすると実に25パーセントにもなる。

■ インパクトの評価 

 実際に死亡者数が跳ね上がった要因が医療崩壊によるものかどうかは今後死因の検証をしてみなければ確定的なことはわからない。しかし、コロナ感染症だけでは説明がつかない大きさではないかという印象を持っている。

 よく、「コロナで亡くなるのは高齢者がほとんどで、コロナに罹らなくても亡くなるはずの人がたまたま陽性だっただけだ。」という言説を耳にするが、しかし統計的には明らかに違っている。新型コロナが直接の死因であるかどうかは別として、新型コロナ流行は明らかに日本の人口動態に大きな爪痕を残している新型コロナの有効な治療薬を開発しない限り、今後も死亡者数が増加し続ける可能性が高いのではないだろうか。

 昨年4月から本年3月までの1年間に亡くなった人は約150万人であり、この期間に生まれた人は84万人なので、1年間におよそ65万人の人口減少(自然減)が生じたことになる。これに対しても高齢者が多く亡くなることは、高齢化率が下がり人口構成を正常化するので、日本国の活力向上にとってはむしろ好ましい」という感想を抱く人もいると思う。しかし以前の記事でも述べたように、「高齢者が多少たくさん死ぬことは構わない。」という考え方は極めて歪んだ価値観である。高齢者であろうと乳幼児であろうと医療を施せば救える命であるならば、年齢に関係なく救われるべきであり、それができなくなっているとすればそれは社会全体のシステム障害と考えるべきである。現在青年である人たちもやがては高齢者となる。高齢者が切り捨てられる社会システムを是認してはならない。天に唾することと同じである。

未来を創造するためにまずは生き残りましょう。