北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

医療崩壊から見えてくるもの ~何をなすべきか

最近になって政府は秋以降の行動制限緩和の方向性を示唆し始めた、選挙対策かもしれないが、緊急事態宣言の延長とセットで出てくるところは相変わらずのチグハグさである。かなり昔になるがかつて「医療と健康の経済学」を講義した経験があるので、昔を思い出しながら現在の医療状況データをみながらこれから何をなすべきかについて考えてみた。(やや長い記事になりましたが最後まで読んでみてください。)

 ■ 療養者の状況 

下の左表は9月8日現在の厚生労働省発表の療養状況である。

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全国で約16万人いる療養者のうち入院できている人は2万3000人足らず。実に10万人以上の感染者が自宅療養となっている。確保病床にはまだかなりの(1万5000以上の)空きがあるように見える。深刻といわれる東京都では、2万2000人弱の療養者の中で入院できているのはわずかに4000人であるが、これは確保病床の約6割であり、一見するとまだ余裕があるように見える。見た目も非常に厳しいのは東京都の重症者で、1092人の重症者が入院しているが、重症者用として確保している病床は1207しかなくほぼ満床に近い。病院の運用を考えれば9割はほぼ限界であろう。ただ東京都は独自基準(厚生労働省とは異なる)で重症者の発表を行っており、この時点(9月8日)での東京と発表では252名であり、約4倍の開きがある。(*データを整合的に眺めることができないので、東京都は厚労省の統一基準に即刻データ発表を改めるべきである。) また、宿泊療養施設も数が伸びておらず、また利用率にもかなり余裕がある。その結果全国では調整中も含めて約12万人が、東京都では約1万6000人が自宅放置されている。

 この表を眺めているといくつかの疑問がでてくる。

  ●確保病床の6割程度埋まったら、なぜ「医療ひっ迫」になるのだろうか。
  ●重症者用も含めてなぜ確保病床がこんなに少ないのか。

 ■ 医療崩壊するメカニズム 

 上の右側の表をご覧いただきたい。これは9月8日に東京都の感染者が保健所によってどう処理されたかを示している。(出典は東京都の報道発表資料)この表からわかるように、9月8日に保健所が処理しなければいけない療養者は5000人余りいるがこの日に保健所が処理した件数は2000人に満たない。その他の日も比較すると1900人前後が現時点での東京都の保健所の処理能力の限界ではないかと推測される。入院できた人はわずかに17人、移管調整中の人が実に1000人以上に及ぶ。ホテルや病院との間で調整交渉中というものである。調整している間は自宅で放置されることになる。自宅療養や自宅放置の間に容態が悪化した場合は保健所に電話することになるが、重症に近いところまで悪化すると、重症病床は明らかにひっ迫しているために搬送先が見つからずに自宅で亡くなってしまう事態となる。すなわち最もひっ迫しているのは保健所である。ただそれだけではなく、もしスムーズな調整が可能であったとしても、調整中の人をすべて収容しようとすると宿泊施設や病床は全く足りていない。したがって第一次的には保健所業務のひっ迫に起因するが、本質的には確保病床や宿泊施設の絶対数が少なすぎることが問題であると言える。また、6割程度の病床充足で調整が難航し始めるのは、病院側の医師・看護師のシフト確保の問題があることが容易に推測されるが、この点については傍証となるデータを持ち合わせていないので指摘のみにとどめておきたい。もっとも我が国の医師・看護師が病床に対して不足していることはよく知られた事実であり、即応病床や重症病床を短期間に増やせない要因の一つになっている。 

 ■ コロナ対応病床をなぜ増やせないのか 

 日本の病院数、病床数は世界一であると言われている。人口比当たりでは英米の数倍になる。にもかかわらずなぜコロナ病床が少ないのか。よく提起される疑問である。この問題を考えるためにはまず日本の医療の「二重構造」を理解する必要がある。この二重構造にはさらにいくつかの階層がある。まず下の表をご覧いただきたい。

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これは本年度の医療施設動態調査(厚労省)の速報値である。日本には現在約18万の医療施設が存在している。そのうち病院(病床20床以上)が約8000、一般診療所(病床20床未満)が約10万4000、残りは歯科診療所である。病院が5パーセントもないことに驚かれるかもしれないが、逆に病床は病院は約160万床、一般診療所にあるのは約8万5000床である。つまり圧倒的な数の中小医療機関とわずかな病院があり、入院患者の大半は病院で扱うという構造である。さらにこの二重構造にはもう一つの階層がある。 下の図をご覧いただきたい。これは株式会社グローバルヘルスコンサルティング・ジャパンのサイト(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000021.000046782.html)から転載したものである。

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全病院の8割以上が民間病院であり、さらにその9割以上が病床数200床以下の中小病院である。経営的観点に立った病院運営を重視しなければならない民間病院で、しかも病床数が少ないところでは当然感染症病棟や感染症対応病室(陰圧空調、防護服着脱室、患者導線ゾーニング等)などはほとんどない。コロナ患者の受け入れに二の足を踏むのは当然であり一方的に非難すべきものではない。これらの病院では集中治療や高度医療を必要としない急性期医療を提供し病床の回転率を上げることによって経営が成り立っている。コロナ患者の受入れによって他の病気やけがの患者の受入れ(や回転率)が落ちてしまうと病院の存続にかかわる事態となる。また重症者の受入れ先が見つからないような状況の中で、いつなんどきエクモが必要になるほど重症化するかわからないコロナ中等症患者を受け入れたとすると、病院全体が極めて緊迫した状態(24時間体制の医師や看護師のシフトなど)になる。病院経営者としてはできれば避けたいと考えるのは極めて自然なことのように思う。
 次に重症病床が少ない点についてみておきたい。下の表は集中治療室等の数である。

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集中治療室(ICU;2対1看護)およびICUに準じる(4対1看護)病床が全国で約2万、東京都で約2500ある。また人工呼吸器の台数は全国で約2万2000、東京都で約3000である。人工呼吸器は生産すれば数を増やすことができるが、集中治療室を短期的に増やすことはほぼ不可能である。東京都で重症者(厚労省基準)が1000人を超えれば搬送先がなくなってもまったく不思議ではない。それどころかコロナ以外の病気で重症になってもほとんど集中治療室には入れられないことになる。助かる命が救えなくなるという意味で深刻な医療崩壊ということができる。

 重症者対応のもう一つの問題は医師のスキルである。近年、集中治療専門医の認定制度をつくって集中治療の高度なスキルを持った医師を増やそうとする取り組みが行われてきてはいるが、全国で2000人余り、東京都で300人程度とまだまだ非常に少ないのが実態である。最近山形から東京に集中専門医が応援に行く記事が出ていたが、これは東京の重症者対応の状況が限界に近いことを如実に示している。

6倍に急増した都の重症者、山形から東京派遣の専門医「きついな」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

■ これから何をなすべきか 

   昨今、医師会に圧力をかけてコロナ患者を民間病院でたくさん受け入れさせろという意見を耳にすることがある。しかし上でみたように点在する中小民間病院にコロナ患者を受け入れさせようとすることは有効な方策ではない。有効な治療もできず重症化した場合の対応もできず、なによりもこれらの中小病院では医師や看護師の数が決定的に足りない。むしろ最近知事たちの発言で時々出てくる「野戦病院」や「酸素ステーション」などが方向性としては正しい。名称はともかくとしてコロナの軽症者や中等症者を「集中させる場所」をつくり、抗体カクテルなどの限られた医療資源を集中的に投下することが応急的な施策としては有効である。
  また隔離用の宿泊療養施設にいる患者たちにスマートウォッチを配布し心拍数や酸素濃度などをクラウド上に送信し、AIで異常の検知を行うシステムの構築も大切である。(システム自体は数か月もあればできると思われる。) 多くの人出(看護師)をかけることなしに宿泊療養者を増やせるからである。ともかく応急的・短期的には「自宅放置者ゼロ」と「重傷者を増やさない」の2つを目指して緊急措置を徹底していくべきである。

 ただしあくまでこれは短期的・応急的な施策である。今後のことを考えれば中長期的には、普段は他の病気のために使用していてもいざというときには感染症専門病院あるいは感染症専門病棟として「転用可能な」施設、および普段は合宿所等として使用していてもいざというときは感染症隔離居室として「転用可能な」施設国公立でつくっていくことが将来の危機管理に向けて必要である。併せて中長期的には看護師を退職した人でも年2回程度研修を受けることによっていざというときは看護師として招へいできるような「予備看護師制度」や高度なスキルをもった集中治療専門医なども強化していく必要がある。さらにこれらに加えて医療資源や保健所業務を節約できるようなデジタル化・AI化を推進していくことも必要である。また、安価な経口治療薬の開発が中長期的に最も重要なことは議論の余地がない。

 これから冬に向けてコロナ第6波がやってくることが懸念されるが、感染が下火になっているときに次の危機に備えて最大限の準備をすることが大切である。行動制限緩和などと言っている余裕はない。今の日本の対応は火事になってから消火器を買いに走るようなものである。到底危機管理とは呼べない。

未来を創るためにまずは生き残りましょう。