北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

和歌山県に見るコロナ戦術の希望 ~ もっと報道してほしい

 一昨日和歌山県のホームページに掲載された知事のメッセージ。コロナ禍の中でこれほど冷静で力強いトップメッセージを見たことがない。知事が優秀なのか、官僚が優秀なのか、あるいはその両方なのか。日本にもまだこれほどの政治家がいたことに希望を込めて、私のブログでも取り上げてみたい。

 ■ 和歌山県知事のメッセージのすごさ

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 12月28日に和歌山県のホームページに県知事の新しいメッセージが掲載された。仁坂知事は2月19日の第一報以来ずっと新型コロナに関するメッセージを出し続け、今回が第47報になる。「今回はデータの示す急所」と題したもので一連のメッセージの中で出色のものである。ぜひ皆さんにもご一読いただきたいと思い紹介することとした。

知事からのメッセージ 令和2年12月28日 | 和歌山県

 

このメッセージのすごいところはいくつかあるが、一番に挙げられるのは徹頭徹尾データに基づいて語ろうとしているところである。今回に限らないが仁坂知事は何かを主張しようとするとき必ず根拠(論拠)を語ろうとする。また過去の誤りや失敗を素直に認め、まったく過去の自分に拘らない。つねに現在の最善策を探ろうとする態度がある。この背後には「最終的責任はすべて自分が負う」という強い責任感が垣間見える。日本中の知事がこういう人であったらと思う次第である。

今回の仁坂知事の主張を簡単に要約すると以下のようになる。

(1) 病院は重症者だけ診ればよいという意見があるが、和歌山県では入院時無症状の人の6割が入院後発症しており、さらにその2割は重症化しておりうち1名が死亡している。無症状や軽症の人を放置しておくのは危険であり、全員入院が望ましい。コロナを指定感染症からはずしてくれという意見は却って重症者を増やすことにつながり逆効果である。

(2) 入院期間については、和歌山県のデータでは発症してから一番遅く人にうつした例は10日後なので、厚労省の基準通り(10日ルール)退院してもらってすぐに仕事に復帰することが可能としている。ただし、厚労省は発症前2日間は無症状でも人にうつすおそれがあるとしているが、和歌山県のデータでは発症3日前にうつしている例があるため、自発的に発症3日前からの行動履歴を調査している。

(3) PCRが陰性になった濃厚接触者については、和歌山県のデータでは最大15日目に発症する例があったため、国が推奨している2週間自宅待機というルールを厳格に守り、少しでも異常があれば何度でもPCR検査をすることにしている。

(4) 発熱が発症の目安になることが多いが、和歌山県のデータでは発熱以外の症状の人も多くいるため、熱がなくても何らかの異常があればすぐかかりつけのクリニックや県庁ダイヤルに相談することを促している。

(5) 症状が発現するタイミングについては、和歌山県のデータでは、肺炎だけでなく呼吸困難、食欲低下、味覚・嗅覚異常は発症後4日から6日で出てくるようなので、初めは熱と倦怠感ぐらいの人も、4~6日で重症化するおそれがあるということになり、和歌山のように全員入院しているととケアできるが、自宅待機などでは危ないということになる。

(6) 和歌山県の年代別の重症度の分布を見ると、やはり高齢者の重症化リスクが高いと言える。

(7) 感染経路不明の割合に関しては、和歌山県は徹底的な行動履歴の追跡と広範な検査によって感染経路不明者が他県に比べて圧倒的に少ない。保健医療当局が感染経路不明何人、はい終わり。でその後のトレースをしないと、感染は際限なく拡がる。報道に甘んじないようにしないといけない。感染源不明などと言って、感染源を追わない現状を正当化してはいけないということです。

(8) 和歌山県のデータでは、第1波、第2波、第3波と段々と感染力が強くなっていることを示している。

(9) 和歌山県は、コロナの後遺症のトレースも行っており、命に別状もなく重症化もしなかった若年層にも後遺症は残るということが分かった。よく若い人は、自分は命に別状がなくてもお年寄りにうつすと大変なことになるから気をつけようと言われてきたが、ご本人も後々苦しむ場合がある。

(10) 和歌山県では、保健医療行政の機能分担を進めている。和歌山県では、コロナ対策主力部隊として奮戦してくれている保健医療行政当局に感染症法上のエッセンシャルな対応以外の仕事をさせず、苦情処理、調査、ケアなどの仕事は専用ダイヤルなどを設置し、保健所とは別部隊が対応するようにしている。また、大規模クラスターなどで手が足りなくなった場合は、県内の他保健所からの応援部隊や多業務担当の保健師、看護師の協力体制を組んでいる。

<最後の文章は冒頭に画像で載せたもので、要約せずにそのまま引用します。>

 いつかこのコロナとの闘いは終わります。しかし、終わるまで、県民の生活と経済と安寧を守るため、公僕たる保健医療行政に携わる公務員は頑張り続けなければなりません。年末年始の休みもなく働き続けてくれています。そこでお願いです。かつて沖縄戦の際に、大田司令官が大本営に打電したあの言葉「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」のように、後世すべての県民は、この行政に携わって奮闘した職員のことをどうか記憶に留めてもらいたい。それが私の願いであります。

 12月25日コロナに関する菅総理の記者会見がありました。その際、尾身分科会座長は、「コロナ対策には急所があるんです。」と言って人々の守るべき生活態度を示されました。しかし私は、急所は、しかももっと大事な急所は別にあると確信しています。それは知事の配下にあるすべての公の資源を投入して、感染症法を用いてきちんとした保健医療行政を展開することです。しかも、現実のデータに基づいて科学的、論理的考察から技術を高めてこれを行うことです。その確信は上記に示したような現実のデータを科学的かつ論理的に考察することから出てきます。

■ これを書いた人は

 ところで知事や大臣のメッセージなどは、側近や官僚が作文することも多いが、この文章はどうであろうか。内容を細かく見ていくと、官僚では書けない文言が大量に含まれていると思われる。国の方針の批判、厚労省と微妙な距離感を保っているところ、職員に対するねぎらいを随所に入れるところ、などから判断するとほぼ確実に知事自身の筆によるものだろう。実際仁坂知事はこれまで大量の知事メッセージをホームページで発信し続けているが、すべてを自分自身で書き続けている者と思われる。口だけで話している多くの知事や、官僚の作文だけを掲載している県などと比較すると圧倒的な文章力と言える。もっとも組織のトップはこのくらいできてあたりまえではないかとも思うが、そうでないところが日本の政治の貧困さを象徴している。

 それではこの和歌山県知事仁坂吉伸とはどういう人だろうか。経歴を調べてみると、和歌山県出身で東京大学経済学部卒。安田講堂事件の時東大入試が消滅したため京都大学に入学したが翌年東大を受け直したと伝えられている。東大卒業後通産省入省、経済企画庁を経て最後はブルネイ大使を経験している。主軸は通産官僚であるが、経済政策や外交畑も経験した比較的守備範囲の広い官僚だった。和歌山県知事としては長期政権(4選目)になり、途中問題発言などがあったこともある。政策を眺めてみると、「論理的に一貫した政策」を目指してきたように思われる。矛盾したことが嫌いな性格のように見受けられる。

 今回のコロナ禍においても徹底した実証主義に基づいて政策立案を行っている。仮説を。立ててデータをとり、仮説に反するデータが出てきたら政策方針をあっさり変更する。データが自分の考えと合わなければ自分の考えの方を修正するという当たり前の態度であるが、政治家は過去の自分の発言に拘るためなかなかそれができない。仁坂知事はいとも簡単にこれをやってのけている。

   このような実証マインドはどこからくるものだろうか。東京大学経済学部の教育の成果だろうか。経済学部ではどなたのゼミ(指導教授)だったのだろうか。もしこのような実証マインドが経済学教育で身に付いたのだとしたら、経済学もまだまだ捨てたもんではないなと嬉しくなる。世間は「データサイエンスが重要」と大合唱しているが、大切なのは難しい統計理論でもプログラミング技術でもない。大切なのは「数字を読む力」である。これには、数字・データを見ようとすること、見た数字・データをもとに考えることの2つの要素がある。

 新型コロナとの闘いはまだしばらく続くと思われるが、こうした有能かつ冷静iな将軍が県という軍団を率いている限り簡単に負けることはないだろう。あとは全体を仕切っている大本営次第と言うことになる。大本営がまともになることを期待したい。

未来を創るためにまずは生き残りましょう。