北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

学校再開vs一斉休校を考える

 デルタ株が猛威を振るう中で学校が2学期を迎えることへの懸念が拡大している。夏休みの延長や分散登校などの具体的な措置も散見され始めた。極めて難しい問題であるが今回はこの問題を掘り下げてみたい。

  ■ 現場を二分する議論 

   教員サイドも保護者サイドも完全に二分されている。
「子供たちは人とのつながりの中で成長するものであり、その機会を奪ってはならない。教育の敗北である。」
「学びはオンラインでも継続できる。感染を拡大させる行動をとるべきではない。一か月程度なら我慢可能。」
どちらの言い分も一理あり、正解を決めることはできない。したがって、対面授業を通常通り再開すれば、休講派から猛然と反対を受け、逆に休校・オンライン授業を決めれば授業再開派から痛烈な批判を浴びる。幼稚園から大学まで程度の差こそあれ構造はほぼ同じである。一見すると教育の本質を問う議論のようにも見えるが、議論の本質はそこではない。低年齢の教育になればなるほど、オンライン授業より対面授業の教育効果が高いことは議論の余地がない。問題の本質は対面授業を再開した場合のリスクの評価が人によって異なることである。ちなみに、授業が完全にハイブリッド化されて、自粛派は自宅でオンラインで授業が受けられ対面派は登校して教室で授業が受けられれば、少なくとも対立は解消される。しかし残念ながら全国の小中高大のすべてがこのレベルに到達することは相当先のことになるだろう。今現在のソリューションとして完全ハイブリッド授業は選択肢から排除されているものとして話を進めていきたい。

 ■ 対面授業のリスク 

 一般に感染症のリスクはマクロ的な側面とミクロ的な側面の2つがある。マクロでは、感染が拡大することによって医療崩壊が生じたりウイルスが変異する確率が上がったりするのを防ぐために国民が協力すべきであるという社会的利益(公益)に基づく考え方である。ワクチン接種率を上げて、何人かは副反応で死亡するかもしれないが、国全体の集団免疫を構築するべきだという考え方もこのようなマクロ的な評価に基づくものである。学校再開をめぐる対立はそれよりもっとミクロ的な視点からのものである。ミクロ的な側面では、対面授業の再開は3つのリスクがある。
 第一は子供(児童生徒学生)本人が感染するリスクである。細かく見ると感染して重傷化したり死亡したり、あるいはそこまでいかなくても何らかの後遺症を背負ったりするリスクである。 

 第二は、学校で感染した子供から家族に感染するリスクである。デルタ株では40代,50代の重傷者が急増していることを考えると、このリスクは極めてシリアスにとらえるべきものであろう。例えば、小学生の子どもが学校で感染し40代の両親にうつしたとしよう。子ども自身は無症状でも、もし両親がともに重傷化した場合に残された子供はどうすればよいだろうか。学校に行ったことを激しく後悔することになりはしないか。
 第三のリスクは、教師が感染するリスクである。どの学校でも40代以上の教師の割合はかなり高い。教師が感染してもし重傷化または死亡した場合には、何とか同僚が協力して乗り切ろうとするだろうが、簡単に替えがきかない教科などの場合には、子供たちの学びが完全に止まってしまうことになる。
 これらの三つのリスクに対する評価(怖がり方)が人によってばらばらであるため、意見の対立が生じてしまうわけである。子どもや親や教師が多少死んでもかまわないから教育を守れという人はまずいない。重傷化も死亡もしないと思えば、子供たちが可哀そうだという意見になるわけである。

 ■ 感染抑止の効果 

 ところでマクロ的な視点で考えた場合に、学校を休校にすることは感染を抑え込む効果があるだろうか。対面授業を再開するよりはましであることは疑いの余地がないが、感染を抑え込むほどの効果は見込めないのではないかと考える。そもそも8月である現在において、すべての学校は夏休みであり授業は行われていない。それでも感染拡大はとどまるところを知らない。夏休みを延長したりオンライン授業にしたりしても現在の状況が継続するだけであり、「全国一斉休校」が感染抑止の決定打になるわけではない。飲食店を閉めることと同じで、閉めないよりはましかもしれないが、一部だけ閉じてもほかのところにはみ出していくだけで感染抑止の効果は限定的なものになると言わざるを得ない。閉めるならはみ出す余地がないように全体を閉めなければ強い感染抑止効果は期待できない。

 ■ 最悪のながれ 

 現在政府などの方針はどうなっているだろうか。分科会の尾身会長は学校再開の危険性と教師へのワクチン接種の加速を提言しているが、政府の方針としては「各自治体で判断」としている。自治体によっては夏休み延長等の方針を打ち出すところもあるが、「各学校で判断」としているところもある。さらに各学校では子供を登校させるかどうかは「各家庭で判断」としているところもある。「政府」→「自治体」→「学校」→「家庭」とカスケードのように責任が転嫁されていく。これは危機管理的には最悪のながれである。ものを決められる立場の人が責任を放棄しているからである。最終判断は現場に近いところ、あるいは親が行うことも考えられるが、国は少なくとも判断の基準を示すべきである。ほとんど感染者がいない町で学校を休校にする意味はない。逆に医療崩壊が進んでいて親や教師が感染した場合に死のリスクが高まっているような地域では状況が落ち着くまでオンライン授業を継続する意義は大きい。

 それにしても新型コロナ発生から1年半の歳月がながれたにもかかわらず、オンライン授業やハイブリッド授業の準備がまったく進まなかった日本のIT後進国ぶりをあらためて痛感させられる状況である。

未来を創造するためにまずは生き残りましょう。