北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

現金10万円一律給付を考える

 

私はこれまで一貫して現金一律給付の効果に疑問を呈してきた。現在現金10万円一律給付が決定され実行されようとしているが、そのどこに問題があるのかについて述べてみたい。

 

 ■ 理想的な政策

 

 まず下のわが国の所得分布をご覧いただきたい。私は戦略優先順位として、「医療崩壊防止>感染拡大防止>弱者救済>景気浮揚」と繰り返してきた。弱者救済をベースに国家予算を使用するのであれば、理想的にはこの図のようになる。

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労働者の約50パーセントを占める年収300万円以下の世帯(第1層)は、契約、派遣、パートなどで生計を立てている人が多いと推測される。(年収300万円以下の人がこんなに多いのかと驚かれる方もいるかもしれないが、これが21世紀に広がった日本の格差社会の現実である。) 需要が急速に落ち込む状況の中で、これらの非正規の人たちは最初に切られてしまう。ここで必要なのは明らかに生きるための現金である。他方、年収300~1000万円の人々(第2層)が最も恐れることは、現下の現金があるかどうかよりも失業することではないだろうか。新型コロナとの戦いが長期戦になることを想定するのであれば、徹底した雇用維持対策が必要である。これは今後日用品等の供給能力の維持のためにも必要である。必要なことは固定費(賃料、光熱水費、税金等)の繰り延べまたは免除、支払給与の補助(雇用調整金等)である。 一律に10万円の現金が社員全員に配られた場合、第1層の人たちは生活費として使うと考えられるが、第2層の人々にとってはそれが失業の不安を打ち消すほどの効果を持つとは考えられない。10万円は「コロナ収束後の楽しみ」として貯蓄される可能性が高く、弱者救済としても景気対策としてもほとんど効果は見込めないと思う。言及していない第3層(1000万円以上)の人たちは10万円をどのように使うだろうか。いくばくかは消費に回るであろうが景気を押し上げるほどの効果はほとんど期待できないと思う。

 ■ 理想的な政策実施を阻むもの 

 

それではなぜ一律現金給付で決着したのであろうか。ポイントはスピードである。(もう一つのポイントである選挙の票に結び付きやすいかどうかという政治的観点についてはここでは触れないことにする。) 現在の日本では、低所得者や収入激減者にだけ支援金をわたそうとすると、自分がそれに該当することを証明しなければならない。この手続きが極めて煩雑であり、実際に現金が給付されるまでには、1カ月以上の時間と、書類をそろえるために何度も役所を訪れなければならないという労力がかかる。一律給付であれば時間も労力もある程度は短縮できる。ただし「ある程度は」である。「手を挙げた人だけ」という財務相発言に批判が集まっているが、最終的には振込口座番号等の申請が何らかの形で必要なのではないかと思われる。かなりの部分インターネット申請でカバーできると思われるが、今からシステムを構築しなければならない。やはり現金が手元に届くまでに1か月近くを要するのではないだろうか。

 ■ タラ、レバの話ではあるが

 

 よく「ヨーロッパなどでは救済金が数日で振り込まれる」という話と比較する人がいる。「なぜ日本ではこのスピードでできないのか」、と。 それは日本がIT後進国だからである。あるいは日本の現状はSociety5.0にほど遠いからである。(*Society5.0と新型コロナウイルスとの本質的な関係についてはあらためて別の記事で述べたい。) もしマイナンバーが全国民に浸透し、十分に機能(全国民のすべての月別所得を補足)していれば、インターネット上にマイナンバーと口座番号を打ち込むだけで低所得者・収入激減者に支援金を振り込むことが可能である。現状はマイナンバー定着率が低いために、住民基本台帳のようなものをベースにして一律に現金を振り込む方法にならざるを得ないのである。

 ■ もっと重要なこと

 

 スピード重視でいくなら現金10万円一律給付が正しいことになる。しかし残念ながら必ずしもそうとは限らない。問題はその次の手を考えているかどうかである。現在のような自粛状況が2か月3カ月と続くのであれば、低所得・収入減世帯にとって10万円では絶対に足りない。つまり現金給付は一回では済まないということである。最初の一手に12兆円以上をつかった後で、二の矢三の矢を打つ体力が政府に残っているかどうかである。現金10万円一律給付を決定した以上、そこから議論を始めるしか致し方ない。次善の策としては、2か月後3か月後に備えて今から低所得・収入激減世帯を補足することを始めるべきである。全国民への現金給付を2回3回と行っていけるとは思えないので。もっと他にお金を回すべきところはたくさんある。(医療用品、医療機器の増産、無症状・軽症者隔離施設の確保、ドライブスルー検査場の設置、医療現場で働く人員の増員などなど。個人的な思い付きかもしれないが、臨時家賃猶予法のような法律をつくり、個人大家さんへの補償とセットにする考え方もありだと思う。)

未来を創るために、まずは生き残りましょう!