北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

プーチンが核を使う可能性

ウクライナ情勢が渾沌としてくるなかで、両陣営共に戦争の終わらせ方が分からなくなってきている。最大の焦点はプーチン核兵器を使うことがあるかどうかであろう。今回は人類の未来に重大な影響を及ぼすこの核兵器使用の可能性について掘り下げてみたい。

 ■ ロシアの核兵器の現状 

 

 まずロシアがどのような核兵器をどのくらい保有しているのかについて概観しておこう。周知のようにロシアは世界最大の核保有国であり、保有の状況は上の表のようになっている。作戦配備として命令があればいつでも打てる状態になっている核弾頭数は約1500発、準備をすれば打てる状態に持っていける作戦外貯蔵されている核弾頭が約2700発である。核兵器保有は7000発前後と言われているが実際には半分は使い物にならない廃棄待ちのものである。それでも作戦配備されている1500発という数も異常な多さである。これらの核弾頭を装着するのが、地上配備されているミサイル(ICBM)約300基、潜水艦配備ミサイル(SLBM)約100基、爆弾(戦略爆撃機搭載用)約200個である。
  実際に使用するとなると爆撃機に核爆弾を搭載した空爆は、完全に制空権を握っていない限り撃墜されるリスクがあり現実的ではない。したがって地上基地または潜水艦からのミサイルの発射ということになる。ロシアの黒海艦隊に潜水艦は配備されてはいるが核兵器を搭載しているかどうかは不明である。もし核搭載潜水艦が黒海にいるのでれば、ウクライナに向けて核ミサイルを打つ場合にはそれを使う可能性が高い。地上基地における核ミサイル発射準備は衛星によって察知される可能性が高く、基地そのものが先に空爆されるリスクがあるからである。

 ところで最近よく「ロシアが使うとしたら戦術核」という言葉を耳にするようになった。戦術核は破壊力が小さく局地的な攻撃をするもので威力が弱いものというイメージで語られることが多いようである。しかしこれは誤解である。戦略核と戦術核の区分はもともとそれほど明確なものではなく、また本来はミサイル等の射程の長短による区分であった。実際潜水艦搭載型の戦術核でロシアが保有する最も威力の小さい弾頭でも破壊力は50キロトン(TNT換算)ある。広島や長崎に投下された原爆の破壊力は15~20キロトンと推定されているから、ロシアが打つ可能性がある核兵器は少なくとも広島長崎の2~3倍の破壊力があることになる。もしそんなものがキーウに打ち込まれたら、一瞬にして都市は廃墟となり、少なくとも数十万人の人命が失われ地獄のような惨劇となる。絶対に核兵器を使わせてはならない。

 ■ 核兵器使用の可能性 

 それではロシアが核兵器を使用するのはどのような状況になった場合であろうか。核兵器使用の命令を出すのはプーチン大統領であり、かつ命令から発射までは一定のプロセスが介在することから、実際にロシアが核兵器を使用することになるのはかなり限定的な状況に限られる。必要条件として考えられるのは以下のような3つの要因であろう。

●戦況不利またはロシアの敗北が決定的となる
プーチンが精神的に正常さを失う
プーチンの命令に関する指揮系統が正常に機能する

 この3つがそろわなければ核兵ミサイルが発射されることはないだろう。以下一つずつ検証していきたい。

 ■ 戦況の展望 

  基本的にはロシアが「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻である程度の成果が得られる見込みになれば、プーチン大統領としてはもはや核兵器使用など考える必要もない。プーチン大統領ウクライナ侵攻直前に核兵器作戦配備の部隊に緊急準備を指示しているが、これはNATOアメリカの派兵をけん制するための単なる「脅し」と考えられる。しかしNATO軍などの派兵などがなくても、ロシアの敗北(撤退)が決定的となれば核兵器などの大量破壊兵器を使用する可能性が生じてくる。
  それでは現在の戦況はどのような状況なのであろうか。かなり情報が錯綜しているが、ロシアがキーウなどの北部への侵攻を停止し、攻撃を東部や南部に集中していることから考えると、東部ドンバス地方の制圧によりこの地域をウクライナから切り離してロシアに併合する(または独立国とする)ことで、停戦講和をまとめようとしているものと推測される。しかしウクライナ側(ゼレンスキー大統領)はロシアに占領された地域を奪還し最終的にはクリミア半島も取り返してロシア軍を完全にウクライナから追い出す方針を折に触れて語り始めている。このような「強気」の背景には、西側からの兵器や物資の供給が極めて順調なことがあるものと推測される。実際、GPS付榴弾砲、携行ロケット弾、攻撃ドローンなどウクライナはさながら武器の見本市のような状況になってきている。それでも数に勝るロシア軍は東部と南部の実効支配を保持しようとするだろうが、長期戦になればなるほどロシアは不利な状況に追い込まれていくことは明白である。ロシア軍が想定以上に弱いことが判明した現状では、西側からの武器の供与はどんどんエスカレートし、逆に経済的に疲弊していくロシア軍はどんどん弱体化していくからである。したがって戦争が長期化し東部、南部(クリミア半島を含む)からの撤退を余儀なくされるような事態になれば、ロシアにとっては化学兵器核兵器などの大量破壊兵器を使用する以外には逆転の道はなくなるところまで追い込まれることになる。おそらく秋までには一つの節目を迎える可能性が高いと考えられる。

 ■ プーチン大統領の精神崩壊の可能性 

 次に問題となるのがプーチンの精神状態である。そもそも正常(冷静)な思考判断ができる状況であればこのような無謀な侵略はしかけなかっただろうから、始めからかなり異常さを伴っていると見るべきだろう。プーチンの精神状態が正常性を喪失する背景としては3つ考えられる。

  最も重要な要因として考えられるのは、推測の域を出ないが、プーチンは人生の残り時間を逆算し始めたのではないかという点である。プーチンの健康に関する情報は錯綜してはいるが、現段階で有力なのは、甲状腺がんパーキンソン病、血液のがんなどの説である。(以下の記事を参照)

プーチン氏が甲状腺の病気治療か、がん専門家ら別荘に4年で166日間滞在 : 読売新聞オンライン
プーチン大統領パーキンソン病の疑いさらに広がる、露公開の動画で右手でテーブル強く握り足震え - 社会 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
 

プーチン氏は「血液のがん」か オリガルヒ発言の録音を引用 英紙報道 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

  どの説もあいまいさが残るものであり確定的な情報ではないが、少なくともかなりの顔のむくみが継続していることから、何らかの治療(抗がん剤ステロイドなど)が継続して行われている可能性は高いと考えられる。また、これらの病気がたいしたことはなかったとしても、そもそもロシアの男性の平均寿命は68.2歳(女性78.0歳;2019年度WHO資料)であり、75歳以上の男性の割合は先進諸国の中では極端に小さい。したがって今年の10月で70歳になるプーチンが、自分に残された時間を「あと数年」と考えたとしても不思議ではない

 二つ目の要因は、長期独裁者の孤独である。長期にわたって独裁的な権力を有している場合、知らず知らずのうちに周りはイエスマンばかりになっていくことが一般的である。したがって長期独裁が続けば続くほど、かえって重要な情報が入手しにくくなり、冷静かつ客観的な判断ができなくなることが往々にして生じ易い。まして独裁者が人生の逆算を始めているような状況では正常な判断はほぼ期待できない。このような状況下で行われた意思決定は、例えば豊臣秀吉朝鮮出兵などの例に見られるように、著しく合理性を欠くものになる場合が多い。

  三つ目の要因は、極度の緊張状態の継続である。絶対的な独裁者であるがゆえに、絶えず暗殺等の自分の命が狙われる可能性を意識し続けなければならない事である。プーチンが家族などのプライベートを一切秘密にしているのもある種の用心である。このためますます周りから人を遠ざけるようになり、ますます偏った情報しか入らなくなる。精神的には極度の緊張を続けなければならないことになり、神経がリラックスすることがなくなり、つねに疲労感、焦燥感、恐怖や不安などを抱えて生活していると推測される。例えば友人の葬儀に参列するようなプライベートな場でも、核ボタンの入ったカバンを身に付けていることなどは典型的な緊張の表れとみることができる。
プーチン大統領 盟友葬儀に“核カバン”…「暗殺を深く懸念か」|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

    このような精神状態では、ウクライナでの敗北などの情報は受け入れがたいものであり、戦況の打開、または自暴自棄・破滅願望の芽生え等により、核兵器のボタンに手を掛けることは十分に考えられることである。自暴自棄や破滅願望に関しては、第二次世界大戦時にナチスが占領していたパリからの撤退を余儀なくされる際に、ヒトラーが「パリの街を全て破壊しろ」という命令を出したことが想起される。

 ■ 指揮命令系統の途絶 

 ヒトラーの命令の結末は有名なパリは燃えているか(1966;ルネ・クレマン監督)という映画で極めて印象的に描かれている。パリ占領部隊の司令官コルティッツ将軍がヒトラーからのパリ破壊命令に従わずに連合国に降伏する道を選び、本部の電話口からヒトラーの「パリは燃えているか」という叫び声が空しく響く。良心と良識を備えた将軍が異常な命令には従わない選択をする可能性を示す事例である。

  プーチン大統領が持ち歩いている核のカバンの中にあるボタンを押した場合何が起きるのであろうか。まさか自動的に核ミサイルが発射されるわけではないだろう。通常のシステム設計者ならそんな誤作動の危険が高いシステムは絶対に設計しない。おそらく核発射命令を示す何らかの信号が軍部に届くのではないかと推測される。実際、ロシアの規程では核の発射は大統領、国防相参謀総長三者の合意が必要ということになっている。現実問題として、どの基地(潜水艦)にあるどのミサイルをどこに向けて撃つのかという具体的な指示は、軍上層部からの提案がなければプーチンだけでは決められないと思う。したがってプーチンが核のボタンを押してから実際に核ミサイルが飛び立つまでの間にはいくつかのプロセスと何人かの人間が介在すると考えられる。指揮命令系統が正常に機能すればトップから発せられた命令は末端の基地の発射オペレータまで流れていき、核ミサイルが実際に発射されることになる。しかしプロセスに介在する人間が一人でも命令に従わないという意志を持てばこのプロセスは途絶することになる。

 ■ 核兵器使用を阻止する方法 

 3つの要件のうち最初の2つが満たされたとき、すなわちウクライナにおけるロシアの敗色が濃厚となり、かつプーチンが精神的に異常をきたした場合でも、核兵器が使用されるのを阻止する方法はあるだろうか。ひとまずは『パリは燃えているか』と同様に第三の要件が欠落することに希望を託すしかない。核ミサイルが飛ばない最後の望みは指揮命令系統に介在する誰かが命令に従わない可能性しかない。しかしこれはわずかな希望にすぎない。
  核兵器使用阻止に関して考え得る最も有効な手段は、プーチン大統領が排除されることである。そう簡単ではないだろうが、内部のクーデター(政変)または外部からの工作により、プーチン大統領が殺害、拉致・幽閉等により権力の座から排除され、冷静な判断ができる政権がロシアに新しく誕生すれば、核ミサイルが発射されることはないだろう。もし核ミサイルを発射すれば将来相当長い間ロシアは世界から孤立することになるのは誰の目にも明らかだからである。しかしこれも希望的な観測に過ぎず、実際にはプーチン大統領が権力の座に居続ける可能性の方が高いかもしれない。したがって、このように考えてくると、ウクライナでロシアの敗色が濃厚となった場合には、プーチンが核ミサイルを打つ可能性は決して小さくはないということになる。
  それでは西側諸国ができることは何もないのであろうか。結論から言うと上述の外部工作によるプーチンの排除以外では決定的な方策はない。しかし、核ミサイル発射の指揮命令系統に介在する人たちに間接的に多少の影響を及ぼすことは可能である。一つの方法は、西側諸国が、例えばキーウに核ミサイルが撃ち込まれた場合を想定したシミュレーションを行い、その場合はどのような対応をとるかを予め明言することである。例えば、NATO軍がモスクワに向かって進軍する、モスクワを空爆する、ロシアとの国交を断絶する等々、なるべく具体的なリアクションを予め明言しておくことである。これにより、良識ある人間がプーチンの命令を無視することを選びやすい状況を創ることは可能だと思う。しかしこれも希望的観測の域を出ないものかもしれない。

 戦術核と言っても少なくとも広島、長崎の数倍の破壊力を有する核ミサイルを都市部で使用すれば人類は三たび地獄絵図を見ることになる。人類の英知と勇気を結集して、どんな手を使ってでも阻止しなければならない。
  最後に本論からはそれるが、周りを核を持った独裁者に囲まれているにもかかわらず、シェルターさえ持たないわが国の防衛の今後のあり方についても、本気で考えなければならない時期にきているのではないだろうか。

未来を創造するためにまずは生き残りましょう。