北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

(祝)眞鍋博士のノーベル物理学賞受賞に思うこと ~日本の科学行政への反省を込めて

2021年度のノーベル物理学賞プリンストン大学上級研究員の眞鍋叔郎博士(90歳)が受賞した。たいへん嬉しいことであり心からお祝いしたい。しかし同時に博士の受賞は、日本における研究の状況に関して、私たちを叱咤するもののようにも思える。自戒と反省を込めて、眞鍋博士の受賞を考えてみたい。

 

  ■ 眞鍋博士の業績の偉大さ 

 眞鍋博士の業績についてはいろいろな記事やニュースで紹介されているので、いまさらここで解説する必要はないと思う。「真鍋モデル」と呼ばれる地球全体の気候変動を表す数理モデルの礎を築いていったことであるが、特筆すべきことが2つある。一つは、定量化可能」な数値モデルであることである。地球全体の水の循環や温室効果ガスの発想はおそらく19世紀ごろから存在している。しかしそれらのほとんどは概念的なものにとどまっていたが、真鍋モデルは実際のシミュレーションに耐えられるものであったことである。「二酸化炭素が2倍になったら地球の平均気温が何度上がるか」を具体的な数値で計算できることである
 もう一つのポイントはモデルのシンプルさである。真鍋博士はモデルをなるべくシンプルな方程式で記述し、何が起こっているかという論理的な構造を直観的に知覚できることに拘ったことである。

 この真鍋モデルの重要性と美しさに魅了された一人の芸術家が岡山で真鍋モデルをデザインに散りばめた一つのホテルを設計した。詳細は以下のニュースを参照されたい。

news.yahoo.co.jp

設計者のリアム・ギリックは以下のように述べている。

LIAM FUJI – A&A (a-and-a.org)

「・・・私は彼の初期の研究論文を読みましたが、それらはいずれも具体的な数理を理解せずとも読み進めることができる内容でした。 ・・・私たちが作り上げる岡山の家は真鍋へのオマージュであり、彼の多大なる貢献への敬意を示すものです。真鍋による方程式は優美な様相を呈すると同時に機能的であり、温暖化という問題について曖昧に注意喚起するのではなく、人々にそれに関わる科学的根拠や研究に目を向けてもらうことを意図しています。・・・マウントフジアーキテクツスタジオとのコラボレーションはいわゆる「パラレルプレイ」 (発達心理学的にいう「平行遊び」)という形をとっています。彼らは私との話し合いをベースに建物の構造や詳細を設計し、そのファサードに私が真鍋淑郎の研究成果としての数式を加えました。真鍋の考えを反映するかのように、建物はシンプルであると同時に複雑でもあります。ファサードの方程式は数学という国境の無い、普遍的な言語を用いています。家というものは彫刻ではありません。私たちは人々が考え、眠り、生活をする場所を作ることを目標に掲げてきました。この「家」は建築家とアーティストが手を取り合い、地域の文脈やグローバルな問題について同時に考えることによって構築されたのです。 リアム ギリック」(太字は引用者)

■ 眞鍋博士の来歴が物語るもの 

 真鍋淑郎は1931年(昭和6年)に愛媛県宇摩郡新立村(現在の四国中央市新宮町)に生まれ、東京大学大学院で理学を専攻し博士号(理学)を取得した。博士論文「凝結現象の綜観的研究」から想像すると当時から数値予測のモデルを扱っていたと想像できる。その後アメリカに渡り、プリンストン大学を拠点に研究を続けることになる。真鍋博士はなぜ、日本で研究を続けなかったのか、ここに第一のポイントがある。
 その後真鍋博士は真鍋モデルの開発を進め、大きな業績を積み上げていく。20世紀後半には地球温暖化問題が世界的に取り上げられるようになってきたが、1997年に真鍋博士は日本に帰国し、「地球フロンティア研究システム」の地球温暖化予測研究領域の領域長に就任したが、2001年には同職を辞し、アメリカに戻っていった。真鍋博士はなせ日本でプロジェクトを続けられなかったのか、ここに第二のポイントがある。

 まず第一のポイントについてである。日本が科学技術の先端研究においてそれほどアメリカに負けているとは思えない。しかし研究分野における日本とアメリカの違いについて最も痛感するのは基礎研究の厚みである。もし真鍋博士が日本で研究を続けようとしたら、地球温暖化という荒唐無稽な研究者として確実に変人扱いされ、もしかするとなかなか職を得ることも難しかったかもしれない。人工知能の研究でさえも今世紀初頭には変人扱いされたほどの風土である。日本では「実らない研究」に対する風当たりが強く、短時間に結果が出そうなところにカネが付く傾向が強まっている。税金を原資とした公的資金の投入に関してやむを得ない側面もあるが、たとえ細々でも「役に立つかどうかわからない」研究を継続できるような風土をつくっていく必要があると思う。歴史を変えるような100年に一度の偉業は、膨大な「実らない研究」、膨大な荒唐無稽な発想の中から生まれ出ることを忘れてはならない。すべてつぶしてしまったら何も生まれない。
 第二のポイントは、真鍋博士が日本のプロジェクトのリーダーになったにもかかわらず途中で辞任することになった原因についてである。地球フロンティア研究システムは科学技術庁の主導で進められてきたが、折しも2001年の日本の省庁再編の嵐の中で省庁の縄張り争いが激化していた。総理府に属していた科学技術庁は文部省と合体することとなったが、気象データをにぎる気象庁国土交通省の所管となり、スーパーコンピュータの開発は一部は文部科学省にあったが、産業界(富士通NECなど)のコントロール経済産業省がにぎることとなった。データとスパコン真鍋博士の研究にとって絶対的に必要なものであり、地球温暖化研究は多くの部門との間で共同研究ネットワークを張り巡らせる必要があった。しかしながら、省庁縦割りの壁は厚く、真鍋博士の思うような研究を進めていくことができなくなったのではないかと推測される。真鍋博士はこのときの問題について多くを語ることはないが、経済ジャーナリストの岸宣仁氏は著書『「異脳」流出』(ダイヤモンド社)の中で、松野システム長の「お役人には日本国民全体のためという発想があまり感じられませんね」という言葉と、真鍋博士自身の「日本はもっと挙国体制をとるべきなのに、ここではそれがなかなかできません。」といういう2つの言葉を紹介している。日本では国家レベルのプロジェクトではしばしば「縦割りの壁」に進行が阻まれる。研究の成果そのものよりもメンツのほうが大事なのかと言いたくなるが、冷静に見てみると(経験的な憶測ではあるが)お役人の世界では「失敗したときの責任と成功したときの手柄がどこに帰属するのかを先に決めておく必要がある」というのが絶対的なルールなのだと思う。 

 もう一つ真鍋博士の来歴を見ていて指摘しておきたいことがある。それは現在90歳の博士がいまだにプリンストン大学上席研究員というポジションにいることである。日本では90歳の人が名誉職以外の大学のポジションを持っていることはほとんど考えられない。研究分野に「定年」の概念がないアメリカならではのことかもしれないが、日本でも実力と意欲を持続している人に何らかの支援を行うことを考えていく必要があるのではないかと思う。

■ これからやるべきこと 

 上述のように真鍋博士の来歴を眺めながらわが国の科学研究、科学行政に関して3つの問題を指摘した。キーワード的に言うと、基礎研究の手薄さ、縦割り行政の壁、年齢による定年の3つである。どれも短期的に解決することは難しいが、それでも前に進まなければならない。数年前から私は2つのことを声を大にして叫び続けてきた。一つは若者たちに「日本を飛び出せ」と呼びかけることであり、もう一つは「コラボしよう」と呼びかけることである。基礎研究とは理系分野では基礎理学と言われる領域であり、文系分野では哲学や歴史学などの人文系の学問が多く該当する。大学における職業準備教育や社会人基礎力を重視するながれは今後もやむことはなく、大学間競争が激化の一途をたどる状況下で、個々の大学が単体でこれらの基礎研究分野の厚みを維持することは難しい。
 長期的には大学連合や国家レベルで方向転換を推進していくべきであるが、そうしているうちにも多くの若い研究者の才能やアイデアが潰されていくことは到底容認できることではない。私は壁に阻まれている若者たちに「まなじりを決して日本の外に飛び立て」と呼びかけることにしている。
 もう一つは縦割り意識や責任の所在、手柄の帰属といった意識から抜け出せない日本の組織に対して、「コラボするテーブルをつくろう」と呼びかけている。コロナの自宅療養者の対策でも、見守りロボットもあるしウエアラブルなばいたるセンサーもあるしデータをクラウド送信してAI解析することもできる。テクノロジーは点在しているが、それを保健所や病院で統合させて一つのシステムに組み立てていくテーブルが存在しないのである。コラボするテーブルがあれば解決できる問題はかなりたくさんある。大学がHUBになることはできないだろうか、というのが現在の私の最大の問題意識である。一歩踏み出せば必ず前に進む