北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

東京五輪の本質を考える ~ この国に未来はあるか

東京オリンピックが強行されようとしている。医療関係者からの警告、世論の反対、宮内庁長官による(天皇陛下の懸念の)表明、何が出てきてもオリンピックを有観客でやると言い張る政府。なぜだろうか。その底流に流れているものを掘り下げてみたい。

 

■ オリンピックの損と得 

オリンピック中止の最終決断を下せるのは誰なのか? これが明らかでないところがまず最大の問題であろう。1年前の延期の決定は安倍総理から表明された。事前に根回しが行われたとしても、IOC会長からでも東京都知事からでもなかった。このことから考えると、オリンピック開催の可否は総理大臣の判断がカギを握っていると見るべきだろう。

    実際、オリンピックを開催することのメリット・デメリットを考えると、IOCにとっては、日本国民が何人死のうが、感染を世界に拡大しようが、アスリートが感染によって再起不能になろうが、ほとんど痛みはない。多少の批判はあるだろうが、オリンピック開催による放映権料や日本側からの接待などの主要な利得はほぼすべて得ることができる。
    東京都の立場で損得を考えると、開催することの利得が感染が拡大することの損失を上回るかどうかの判断になる。政治的には都議会議員選挙の争点の一つになると思われるが、それも都議選が終われば関係がなくなる。したがって官僚的な視点では、開催することの経済的利益が感染拡大の損失(の期待値)を超えているかどうかを判断することになる。これまでオリンピックに向けて投下してきた莫大な投資のいくばくかでも回収できればと考えるのは自然なことではあるが、海外からの観客を入れないことにした段階で経済的な利得は極めて限定的なものになったと考えられる。経済活性化による税収増や晴海フラッグなどの売却予定不動産の価格上昇もほとんど期待できない。他方においてオリンピック中または後に感染が爆発した場合の自粛等に伴う経済的損失は極めて大きい。感染が爆発する確率をどの程度で評価するかがポイントになるが、インド(デルタ)株の世界の状況を見ていると、かなり高い確率で感染爆発すると考えるのが危機管理上は自然であろう。したがって、東京都にとってはオリンピックを開催するという判断はきわめて支持しづらい状況になっていると考えられる。小池都知事がここへきて姿を消したのは(本当に体調不良だとは思うが)、結果的にきわめて合理的なタイミングとなった。

    さて、問題は最後に残った日本政府(総理大臣)の判断を左右するものである。それを考える前に、少しだけ危機管理の基本事項を少し整理しておきたい。 

   ■ 危機管理とギャンブル 

 危機管理とは基本的には「リスク」に「備える」ことである。「リスク」とは通常は何かの出来事(アクシデント)に対して、(発生する損失の大きさ)×(発生する確率)によって評価される。「備える」とは、事前対策(あらかじめコストをかけて損失を軽減したり、アクシデントが発生する確率を低減させる対策)を講じたり、事後対策(保険などの損失をファイナンスする計画を事前にたてておくこと)を行なったりする。事後対策においても保険料などのコストは事前に発生する。重要なことはアクシデントが発生する確率を可能な限り客観的・科学的根拠に基づいて把握し、リスクの評価を行うことである。
 危機管理対策としては、(損失)×(発生確率)>対策コスト である限り可能な対策を講じていくというのが危機管理の基本である。さて、逆にギャンブルとは、期待利得として、ある出来事が発生した場合の(利得)×(発生確率)で価値が評価される。通常はギャンブルへの参加コストが必要になるが、一般にすべてのギャンブルは、(利得の期待値)<(参加コスト)となっている。宝くじも競馬もすべてそうである。
 それでも一発勝負を夢見て行うのがギャンブルであり、よほどの常習性のある人を除いて、参加コストの「痛み」が小さいことが要件になる。アメリカンフットボールやバスケットボールで負けている側のチームが終了直前に一か八かのロングスローを行うのは非常に合理的である。どうせ負けるのであればギャンブルをしても「痛み」は非常に小さいからである。

 ■ 東京五輪はギャンブル

 東京五輪は政府(政権)にとって、危機管理的側面とギャンブル的側面の両方を有している。「感染が拡大するかもしれない」という事象と「五輪が大成功するかもしれない」という二つの事象が裏表の関係で存在している。
 危機管理的に言えば五輪を開催しても五輪投資を回収できる公算は低いのであるから、感染拡大による経済損失(健康・人命を含めて)を減らすためには、五輪の中止(延期)または無観客開催が合理的な判断になる。
 しかし他方において、五輪が盛り上がって大成功した場合に、現政権は支持率回復、秋の衆議院総選挙で勝利、という極めて大きな利得を得る。どうせ五輪を中止したりしても責任を問われ支持率も回復せず衆議院選での負けも見えてきているのであれば、一発逆転に賭けるのは現政権にとっては合理的な判断である。
 ギャンブルのネタが国民の生命・健康であることが最大の問題ではあるが、残念ながら現在の日本の行政や国会や選挙などの政治のしくみは、現政権にこのようなギャンブルを許してしまう構造、歯止めが存在しない構造になってしまっている。私たちが唯一持っている歯止め手段は選挙に行くことである。

 ところで、世界の状況やウガンダの選手団の事例などから確率的に考えると、十中八九、五輪開催直前から東京を中心に日本全土にデルタ株が広がり医療のひっ迫が生じ、五輪でも選手や関係者の感染によって不公平で後味の悪い惨憺たる大会になると予想される。

 しかしなんらかの特殊な要員によって奇跡的にデルタ株の拡散が抑えられ、五輪も感動と大盛況のうちに終了する確率もわずかながら存在する。これを仮に「神風(カミカゼ)」と名付けると、神風にすべてを託して前進するというのが現政権の今の姿である。これはいつか日本がたどった道ではないだろうか。その結果がどういうことになったかは私たちはとてもよく知っているのではないだろうか。日本人が何人死のうが痛くもなんともないIOC貴族たちに、「アルマゲドンが来ない限り五輪は開催」「緊急事態宣言下でも五輪は十分可能」と言われ、国民の生命・健康をネタにした現政権のギャンブルに付き合わされる。これでは日本国民があまりに惨めすぎる。
未来を創造するためにまずは生き残りましょう。