北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

東京オリンピックを考える~(5000アクセス御礼)

圧倒的に世論が中止または延期に傾いている東京オリパラ、組織委員会会長まで辞任した。ではなぜこの期に及んでまだ開催に迷うのか? あらためて東京オリパラの迷走を考えることで、決定を迷う根本原因について掘り下げてみたい。

 

■どのように迷っているのか 

現在の状況で東京オリパラに関して可能な選択肢は3つであろう。第一は完全に中止すること、第二は何らかの条件をつけて延期すること、そして三番目は無観客等の規模縮小で開催すること、の3つである。第二の選択肢にはその中にいくばくかの枝分かれがある。1年延期して2022年度開催とするか、3年延期して2024年度開催とするか、あるいはパリ、ロサンゼルスの後の2032年度に東京での開催権を残すかの3つの枝である。これらの選択肢の中からどれを選ぶのかを考える視点のポイントは「誰のために」「誰にとって」という視点であろう。この視点にはマクロ的な視点とミクロ的な視点の2種類がある。

 マクロ的な視点とは、「人類のために」「日本国民のために」「アスリートのために」といった俯瞰的な視点、あるいは倫理的な視点である。ミクロ的な視点とは、意思決定に関わる個々の組織にとっての視点である。オリンピックの開催の最終決定権は形式的にはIOCが持っている。しかし、事実上その決定に影響を及ぼすさまざまな組織が存在する。日本国内で言えば、日本政府、東京都、JOC,経団連などの経済団体の4つであり、海外で言うとアメリカや中国などの大国、そして意外かもしれないかWHOである。

 ■ 各組織の利害を考える 

ミクロ的な視点から個々の組織の利害についてみていきたい。

・日本政府                 

いまだに「人類がコロナに打ち勝った証として開催する」と言い続けており、中止や延期は政権にとって大きなダメージとなる。最後まで縮小開催の道を探ろうとするのは、政治家個人の利権の問題を別にしても、政権側の正直な気持ちであろう。しかし、最終的には内閣支持率自民党支持率は無視できない。秋までに衆議院選挙を必ず行わなければならないからである。ワクチン接種のスピードに最後の望みを託しているように見えるが、東京五輪の可否の決定は遅くとも3月がタイムリミットと考えられるため、これから1か月の世論の動向が政府の態度を大きく左右することになると思われる。もし開催できないような状況になれば、何らかの延期(おそらく1年)を模索すると考えられる。「中止です」だけでは政権へのダメージが大きく、衆議院選挙にもマイナスだと判断するものと思われる。1年先送りすることによって「希望」を継続したいと考えるだろうと予想することが自然である。

・東京都

東京都の立場も基本的に政府と似たようなところがある。7月に都議選が控えているため最終的には世論の動向に左右されることは間違いない。政府と決定的に違うのは、財政への影響が圧倒的に大きいことである。オリンピック開催そのものの経済効果もさることながら、オリンピック後の関連施設再開発において、五輪開催跡地かどうかはその後のブランド価値に非常に大きな影響を及ぼす。とくに鳴り物入りで開発しようとしている五輪選手村跡地(HARUMI FLAG)は東京都にとって絶対に失敗できないプロジェクトになっている。名だたる不動産ディベロッパーが関わり、破格の価格で土地を売却し、臨海地域に総戸数5500戸、人口1万5千人以上の街を忽然と出現させる壮大なプロジェクトである。すでに900戸以上が売約済みである。東京都にとって東京五輪をこれ以上延期することはこの計画がボロボロになることを意味する。東京都にとっては中止か、縮小開催しか選択肢がない。できれば開催したいだろうが、世論の状況によっては躊躇なく中止やむなしの態度に変わるだろう。

・経済団体

上述のHRUMI FLAGだけでなく、五輪終了後にさまざまな開発計画が各地に存在している。当初東京周辺に限定したコンパクトなオリンピックが標榜されていたにも関わらず、最終的に五輪開催計画がかなり広域に拡大していったのは、様々な利権の分配の結果であろう。コロナ禍によって消費が大きく落ち込み多くの企業の利益を圧迫している状況を考えると、起爆剤になるのであれば東京五輪を開催したいと考えるだろう。開催できないのであれば中止を求めることになる。延期は五輪施設をカラのまま無駄に保存し続けられることを意味するため、五輪跡地の開発が先送りになるからである。

・JOC(+組織委員会)、IOC

この両者に共通する利害は、中止にした場合に、入るはずの莫大な放映権料が受け取れないことである。総額ではIOCで数千億円、JOCでも一千億円近くに上る。ちなみにこれらの利益は最終的には競技団体に分配されるものであり、利権と呼ばれるようなものとは少し性質が異なることは注意を要する。

JOCか中止を切り出した場合に日本側に違約金が発生するのではないか、ということが取りざたされているが、契約形態から考えて天変地異などの不可抗力に起因する場合に、違約金が発生するとは考えにくい。あり得るとすれば、放映権を有する大手のメディアからIOCに対して損害賠償請求がなされた場合に、日本が肩代わりするかどうかの話し合いくらいであろう。中止を誰が言い出すかどうかが重要なのは、オリンピックにかけられている保菌金の支払いをめぐる議論であろう。報道(ロイター)によれば、IOCは約8億ドル、JOCは約6億5千万ドルの保険をかけている。自ら中止を言い出すことはこの保険金の受け取り請求に何らかの影響を及ぼす可能性が高い。

・大国(特にアメリカ)

オリンピック開催のカギを握ると言われているのはアメリカの態度である。アメリカが不参加を表明した場合、日本としてもオリンピックの開催を強行することはかなり難しいと思われる。莫大な契約金で放映権を購入したNBCがアメリカ政府に圧力をかけることが予想されるが、就任直後のバイデン大統領の立場からすると、「アスリートの安全を第一に考える」という態度で臨む可能性が高い。3月段階での日本の感染状況次第かもしれないが、現段階ではアメリカは開催にネガティブなのではないかと考える。

・WHO

IOCはかねてから最終的な決定に際してはWHOの勧告にしたがうと表明している。これは前述の保険金の支払いとの絡みであろうと想像される。WHOから中止勧告を受ければ明らかに不可抗力による中止となり、保険金を満額受け取れることを計算してのことであろう。WHOとしても、オリンピックを開催してさらに世界的な感染拡大を引き起こしたという事態だけは避けたいと考えるだろうから、中止または延期を勧告する可能性があるが、3月まで傍観を続けることが最も得策だという判断をすることが予想される。

■落としどころはどこにあるのか 

最終的な落としどころを考える前に、マクロ的な視点としてアスリートの立場で考えてみたい。実はアスリートの立ち位置によってかなり思いが異なることが考えられる。今後まだ選手生活が続く選手にとっては危険を冒して参加することは回避したいのではないか。北京オリンピックの際にエチオピアの当時のマラソン世界最高記録保持者のゲブレ・セラシエが、北京のような大気汚染のひどいところで走りたくないとして出場を辞退したことを思い出されるが、今回も当然このような判断をする選手は多数出てくると思われる。他方で、選手生活最後の勝負として東京大会に賭けているような選手にとっては何としてもやりたいと考えるだろう。これらの人たちへの同情は、中止した場合にはかなり盛り上がることが予想される。

 しかし、それでは果たしてノーマルに大会運営を行うことが可能だろうか。テニスの全豪オープンを見てもわかる通り、感染者が出た飛行機に同乗していただけで2週間隔離が必要となると、フェアな競技ができるとは到底思えない。また選手村で感染者が出た場合には、実際には大混乱をきたすことが予想される。いまだ全競技の6割程度しか出場者が決まっていない状況を考えると、中止や延期の決定が出たとしても、それは多くのアスリートにとって「残念だが仕方がない」という受け止め方になるのではないかと想像される。

 落としどころとしては、現実的には「中止」または「無観客開催」の2択であろう。延期は東京都がゆるさないと思われる。1年延期の線は捨てきれないが、世界陸上サッカーワールドカップ、冬季五輪などと重なり、IOCがのまないと思われる。無観客開催という選択肢をとるのであれば、本当にできるのかどうか入念なシミュレーションが必要であり、決定前の早期にそれを示すことが求められるだろう。そうでないと参加国や参加者が自分は参加すべきかどうかの意思決定ができないからである。あくまで個人的な予想であるが、ワクチンが途上国に行きわたっていないこと、日本国内のコロナ対策が極めて甘いこと、などを考えると多くの国や選手が雪崩を打って不参加を表明するのではないかと思われ、事実上たとえ無観客であっても開催は困難だと思う。

未来を創造するためにまずは生き残りましょう。