北川浩の徒然考

私は2016年から成蹊大学の学長を務め、6年間の任期を無事に全うして2022年の3月に退任しました。本ブログは成蹊大学の公式な見解とはまったく無関係なものであり、あくまで社会科学を探求する一人の学者としての北川浩個人の考えを表示しています。

令和に二宮金次郎はいないか?

現在のわが国の状況をみていると、ふと幕末の二宮金次郎のエピソードを思い出した。行政や政治に携わる人の中に二宮金次郎のような人はいないだろうか?若干うろ覚えで不正確なところもあるかもしれないが、その点はご容赦いただきながら、以下で幕末の二宮金次郎のエピソードを紹介してみたい。

  ■今も昔も役人は同じーがんばれ金次郎

 幕末の天保年間、天保の大飢饉が全国を襲い多くの農民が餓死する状況となっていた。藩主(大久保)から小田原藩の農民救済を託された二宮金次郎は、天保7年藩の米蔵を開放する許可をもらうために江戸藩邸に赴いた。しかし班の役人たちは会議を繰り返すばかりで一向に結論をださない。業を煮やした二宮は、藩邸に押しかけ役人たちを前にして大声で怒鳴る

  ■天に詫びよ

 「政治が行き届かず、多くの民を死に至らしめたら、あなた方は天に向かって何と詫びるつもりか!!!」  この言葉にひるんだ役人たちは二宮に米蔵開放の許可を出した。

★現代で言うと、この言葉はそのまま今の行政府にあてはまる。

急ぎ小田原に戻った二宮は結論を家老に報告して米蔵に向かおうとした。家老は「弁当を食べたあとで」とのんびりしていた。二宮はすぐに米蔵に向かったが、そこにいた米蔵の管理担当役人は、「殿の書状がないと開けられない規則になっている」と言って米蔵を開けようとしない。書状が届くまでには数日かかる。怒り心頭の二宮は、米蔵役人に向かって「それではそれまでは飢えている民と同じように、あなた方も断食をせよ!!!」と言い放った。びびった役人が米蔵を開け、多くの人々が餓死から免れたというエピソードである。

★現代で言うと、「緊急事態宣言が出るまで、国会議員は全員満員電車で通勤せよ!!!」となるだろうか。